| よく訊ねられる質問に、「パーソナリティ障害というのは『性格』なのですか、それとも『病気』なのですか」というのがあります。かって、パーソナリティ障害のことを「精神病質」と呼びました。この、治療しても治らないものというニュアンスのある「精神病質」という概念に対して、アメリカを中心に徐々に用いられるようになったのが、「パーソナリティ障害」という概念です。これは修正のできない「性格」として捉えるのではなく、治療することも可能な「障害」として捉える考え方を反映しています。 実際、パーソナリティ障害の人も、もともとそういう「性格」だったのではなく、何かの挫折や躓きを契機として様子が変わったようになり、性格や行動の問題が極端に出てきたということが多いのです。決して、「精神病質」という概念で考えられていたような、素質的に固定した異常な人格ではありません。 パーソナリティ障害は一言で言えば、偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態です。パーソナリティ障害はかなり多様なものの寄せ集めの概念です。「著しく偏った」という特性は、後ろにどんな形容詞がくるかで意味内容は180度変わってしまいます。 「著しく責任感が強い」人も、「著しく責任感がない」人も度が過ぎると、パーソナリティ障害になってしまうわけです。実際、前者は強迫性パーソナリティ障害、後者は反社会性パーソナリティ障害と呼ばれます。また、「著しく自信のない」回避性パーソナリティ障害に対して、「著しく自信過剰な」自己愛性パーソナリティ障害というのもあります。このように一見、正反対のものまで含んでしまいますが、極端さというものは、どちらに向かっても、結果的にどれも困った事態を引き起こすという点では似ています。根本の部分では大きな共通項があります。 パーソナリティ障害に共通してみられる基本症状の一つは、両極端で二分法的な認知に陥りやすいということです。全か無か、白か黒か、パーフェクトか大失敗か、敵か味方かという、中間のない二項対立に陥ってしまうのです。 そのため超ハッピーな状態も、些細な不満からサイアクな気分にひとっ飛びで変わってしまったり、全体で見れば、すばらしくうまくいっていても、たった一つでも思い通りにならないことがあると、すべてが台無しになったように感じてしまいます。とても可愛がっていた者をちょっと気に入らないことがあっただけで、ひどく憎むようになってしまったりします。 パーソナリティ障害の人に見られる二番目の認知の特徴は、自分と他者との境目があいまいで、十分に区別できていないところです。そのため自分の視点と他者の視点を混同しやすく、自分がいいと思うことは、相手もいいと思うはずだと思い込んでしまいます。自分の視点でしか物事が見えず、自分の考えや自分の期待を周囲に押しつけてしまったり、自分の問題を周囲のせいにしたり、周囲の問題にすり替えてしまったりということが起こりやすくなります。 もう一つの基本症状は、他者を心の底から信じたり、心から気を許すことができにくいということです。本当には信じることができないため、相手を試そうとしたり、裏切られるのが嫌で、自分から先に裏切ってしまうこともあります。誰も信じられないために、誰とも親しい関係になるのを避けようとすることもあります。境界性パーソナリティ障害の女性は、絶えず「愛している」「ずっとそばにいる」とかいう言葉を聞かないと、すぐに不安になってしまいます。ちょっとでも反応が返ってこなかったり、わずらわしそうな顔をされると、「もう自分は愛されていない」「見捨てられた」と思ってしまいます。 四番目の基本症状は、自分に対する認知に関するもので、自己像がとても理想的で完璧なものと、劣悪で無価値なものに分裂し、両者が同居しているということです。つまり、一方で強い劣等感や自己否定感を抱え、もう一方で高すぎるプライドや現実離れしたともいえる万能感をもっているのです。このギャップがとても大きいため、均衡が崩れやすく、通常なら冗談として聞き流せるようなことも、ひどい侮辱や攻撃と受け取って、ついムキになって反撃したり、長く恨みに思うということにもなりやすいのです。 パーソナリティ障害の人に共通してみられるもう一つの特性は、心という装置で受け止めることができる許容量がとても小さいということです。それを超えてしまうと、もう心で処理することができなくなり、暴発的な行動に走ったり、自分や相手を損なうような破れかぶれの行動に至りやすいのです。心の問題が行動の問題となってしまうことを「アクティング・アウト(行動化)」といいますが、パーソナリティ障害の人では、ストレスが理性的な対処能力を超えてしまうと、アクティング・アウトを起こしやすいといえます。 ![]() これらパーソナリティ障害の人の心の特徴は、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」ということができます。 子どもは成長段階により、全く性質の違う二つの対象との関わり方を示します。ひとつは、ごく幼い乳児にみられるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌良くしているが、少しでもそれが損なわれるとギャーギャー泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階です。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが「よい」「悪い」の基準で、それが同じ母親であるとは理解していません。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で対象と結びつく関係を「部分対象関係」と呼びます。 それに対し、離乳期頃から、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常に満たしてくれるわけではないことを、少しずつ理解するようになります。さらに成長するにつれ、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一個の同じ母親であることがわかり、どちらも受けとめることができるようになります。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、「全体対象関係」と呼びます。 パーソナリティ障害の人の特徴は、部分対象関係の特性と大きくオーバーラップしていて、つまりパーソナリティ障害の人は部分対象関係に陥りやすいということができます。 部分対象関係に特徴的な状態として、「妄想分裂ポジション」というものがあります。これは、自分にとって思い通りにならない状況に直面したとき、その不快さをすべて相手の非とみなし、怒りや攻撃を爆発させている状態です。部分対象関係では、相手は「よい存在」になったり、「悪い存在」になったり分裂を起こしています。その分裂を起こしているのは、都合や満足度など自分の心の状態なのですが、それは自覚されることなく、相手が「変わった」「裏切った」と受け取り、その責めを相手や周囲の問題として感じてしまいます。 部分対象関係から全体対象関係が発達する上で、重要な役割を果たす「抑うつポジション」という状態があります。それは乳児期の終わり頃にみられるもので、母親から叱られたときに乳幼児が見せる、いわばしょんぼりとした状態です。乳幼児は少しですが、自分の非を自覚していて、母親が怒っているのは何か自分によくないことがあったのだと、少しわかるようになっています。自分と他者との区別ができはじめているのです。抑うつポジションは、罪悪感や自己反省の起源ともいえるもので、そこからさらに、思いやりや良心といったものも発達していきます。 抑うつポジションが正常に発達するためには、「よい母親」が十分にその子の欲求を満たしてあげることが大切です。しかし、それだけでは不十分で、「悪い母親」が、必要なときにその子を叱ってやることも必要です。「よい母親」の方が割合として十分多いことが大切ですが、「よい母親」ばかりでもダメなのです。パーソナリティ障害の人の中に、殴られたり叱られてばかりだったという人がいる一方で、親から叱られたことがほとんどないという人も、最近増えています。 悲しいことが起きたときに、逆に元気で、陽気な状態が出現するというように、一見不可解な逆説的な反応をすることがあります。これは「躁的防衛」と呼ばれ、自分が優位に立っていると思ったり、実際にそう振る舞うことで、傷ついたり、失敗を認めて落胆したり、失われたものへの悲しみにとらわれることから自分を守ろうとしているのです。躁的防衛は、生きていく上である部分必要なものですが、それが行きすぎたものとして出てくると、自分を振り返る目を持てなくなり、強気になりすぎて暴走してしまうなど、さまざまな問題を引き起こすことになります。 パーソナリティ障害の人では、抑うつポジションと躁的防衛が、めまぐるしく入れ替わる場合があります。落ち込みを避けようとして明るく振る舞おうと、過激な刺激やスリルを求めたり、恋や成功の夢を追いかけますが、それからふと醒めた瞬間に、深い落ち込みや虚無感にとらわれて絶望してしまうのです。「絶好調」と「絶望」が入れ替わることもよくあります。 パーソナリティ障害は大きく、A群、B群、C群の三つのグルーブに分けられ、十のタイプに分類されます。 A群は「オッド・タイプ」と呼ばれ、非現実的な考えにとらわれやすい点が特徴で、シゾイドパーソナリティ障害、失調型パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害があります。 B群は「ドラマチック・タイプ」と呼ばれ、劇的な変動の激しさや自己アピールを特徴とし、周囲を振り回したり、巻き込みやすいタイプで、境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害があります。 C群は「アンクシャス・タイプ」と呼ばれるもので、自己主張は控えめで不安が強く、他者本位なタイプです。回避性パーソナリティ障害、依存性パーソナリティ障害、強迫性パーソナリティ障害があります。 ![]() シゾイドパーソナリティ障害は、他者への関心や関わりへの欲求が乏しく、根っから孤独が性に合っていることを特徴とするもので、喜怒哀楽の感情も乏しく、表情も平板な傾向があります。感情が鈍感だから人と接触したがらないのではなく、敏感すぎるから人と接することが苦痛になっているのです。 失調型パーソナリティ障害は、非現実的な考えや知覚に支配されていることを特徴とし、頭がいつも働きすぎて、考えが際限なく広がりすぎてしまいます。人との関係は必ずしも消極的ではないものの、ギクシャクしていたり、自然さに欠けるきらいがあり、非社交的で、マイペースです。 妄想性パーソナリティ障害の人は、強い猜疑心と対人不信感を特徴とするもので、自分の個人的な情報を知られることに対して非常に警戒的です。傷つけられることに極端に敏感で、些細な言葉にも悪意や非難、嘲笑の意味が込められているように感じて、屈辱や怒りを覚えます。また、非常に嫉妬深く、配偶者や恋人が不貞をはたらいているのではないかと根も葉もない疑いにとらわれてしまいます。 境界性パーソナリティ障害の最大の特徴は、変動が激しいことです。気分の面でもそうですし、対人関係や行動の面でも、短い間に別人のようにガラッと状態や態度が変わってしまいます。見捨てられるということに対して強い不安を抱いているということも、重要な特徴のひとつです。 自己愛性パーソナリティ障害の人は、「偉大な自分」にふさわしい華々しい成功を夢想したり、他人に対して過度に尊大な態度をとったり、特別扱いを求めますが、相手の気持ちには無頓着です。この人たちにとって、他者は、自分を賞賛するか、自分の目的のために利用するものに過ぎません。思い通りにならないと激しい怒りにとらわれることも特徴の一つです。その怒りはとても強烈で激しいもので、たとえ自分に非があっても、相手の不手際や無能ぶりを一方的に責め立てます。 演技性パーソナリティ障害の人の信念は、「絶えず注目や関心を浴びていないと、自分は無価値になる」という思いこみで、そのため後先を考えることなく「注目追求行動」に走ります。注目を集めること自体が目的化しているため、明らかに自分の名誉を傷つけたり、非難や嘲笑を受けるようなことさえも、注目や関心を集めるために行ってしまうことがあります。 反社会的パーソナリティ障害は規範意識や、他者に対する共感性の乏しさを特徴とし、自分の欲求のためであれば、他人を害したり、損なうことも冷酷にやってしまいます。アウトローな生き方をすることが、自分のアイデンティティーになっていることもあります。 回避性パーソナリティ障害は、傷つきと失敗を恐れるあまり、人と接触したり課題にチャレンジしたりすること自体を避けることを特徴としています。どうせ失敗してしまう、どうせ人から嫌われてしまうという否定的な思い込みが強く、それなら最初から何もしないでいるのが安全で楽だと考えてしまいます。 依存性パーソナリティの人は、自分一人では生きていけないので人に頼らなければならないという思い込みのもとに、自分を低め、不当なまでの自己犠牲を捧げてまで相手に合わせようとします。過保護な親に世話をされて育った人が多く、自分で選び、決定する力が身についていません。 強迫性パーソナリティ障害は、秩序や一定の流儀へのこだわりが強すぎるために、それを完璧にやり遂げようとして、かえって支障をきたすものです。計画、予定、慣例、規則などを杓子定規に守ろうとするあまり、融通が利かないとみられがちです。細かいところにこだわり過ぎて全体のことを忘れてしまうこともあります。義務感、責任感が強すぎるあまり、自分で抱え込みすぎ、知らず知らずに過重労働になってしまい、うつ病、心身症、過労死の危険性が高いといえます。 岡田尊司「パーソナリティ障害がわかる本」(法研)より 文責:圓山 |
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