【娘に好かれる父親】 
 女の子が生まれると、父親の目尻は二センチぐらい下がります。ところが、目の中に入れても痛くないほどのかわいがりようで育ててきたのに、いつの間にか娘との距離が離れていってしまいます。いつしか娘のほうが、父と距離をおくようになってしまうのです。小さい頃はあんなに「パパ、パパ」となついていたのに、なぜこんなにも避けられてしまうのか、いったいどこですれ違ってしまったのか、悩む父親は意外に多いのです。

 思春期の頃は、娘が父親の庇護から離れて自立をめざそうとする時期です。もちろん娘が自覚して自立しようとしているわけではありません。むしろ体のほうが少女から女性へと劇的な変化を遂げるのに対して、気持ちのほうはそれに追いつけず、、きわめて不安定な状態に陥ってしまうのが、思春期の頃なのです。
 それまで娘は父親を自分の庇護者としてとらえ、父親の太い腕に抱かれたり、大きな体にくっついたりして、安心感を覚えていたのです。ところが思春期の頃になると、娘は少しずつ父親を一人の男性としても意識するようになってきます。たとえば、それまでは父親の前で平気で着替えをしていたのが、父親の目を避けるようにして着替えをするようになります。これは父親を男性として意識し始めた証拠なのですが、娘にはまだそのことがよく理解できていません。
 こういうアンバランスな心理状態の中で、何かの拍子に父親の「男性性」を見せつけられると、嫌悪の対象になってしまうようです。父親がふざけて、「○○ちゃんかわいいね」と、中学一年の娘の髪をなでただけで、それ以来娘に避けられてしまった父親もいます。

 思春期には、幼い子どもの頃のようなぎゅっと抱きしめる愛情から、もっと大きく包み込むような愛情へと、父親の愛情も変化が求められています。娘の成長に合わせて父親も変わっていかなければならないのです。一時期父親を避けるのは、「私はもう少女ではない」という娘からのサインと受け止めてもいいでしょう。このサインを受け止めたら、娘と少し距離をおいて目を離さず見守り、理想をいえば、必要なときに出ていって、適当なアドバイスを与えてさっと身を引くという接し方をします。
                                 
 日本の男性の多くは、率直に言って、父親としては目をおおうばかりに不器用で、さらにつけ加えればシャイでもあります。多くの父親は、「父親を演じる」という意識が少なく、少しきつい言い方をすれば、父親であるということにあぐらをかいて、無意識のうちに無神経に娘に接しているお父さんが多いように思います。
 外国の男性は、ごくふつうに妻や子どもたちに「愛しているよ」という言葉を投げかけます。「愛しているよ」と言えば、妻や娘が喜ぶことを知っているからです。相手が喜ぶことを理解して実践するのが、「父親を演じる」ということです。ところが日本の男性に、「奥さんや娘さんに『愛している』と言っていますか」と質問すると、ほとんどの人が笑いながら否定します。そしてこうつけ加えます。「そんなこと今さら言わなくてもわかっているはずですよ」まさにシャイで不器用な日本人の特徴をよく表しています。要するにうまく演じられないのです。

 よく「父親は後ろ姿で教える」あるいは「背中で教える」といいます。子どもたちに言葉であれこれ諭すより、自分の生きざまを見せて何事かを伝えていくということでしょう。たしかにその通りではあります。でも不器用な父親たちは、それを逃げ口上にして娘と面と向かってつきあうことを避けているように感じます。
 「後ろ姿で教える」というのは、娘と会話しないということではないのです。むしろ、とるに足らないような日常的な会話を娘と続けるうちに、娘は父の後ろ姿から何事かを学び取るということなのです。
 問題は、何でもない日常会話を娘と続けられるかどうかです。あなたはコーヒーやお茶を飲みながら、三十分、一時間、娘との時間が過ごせますか。なかなか難しいとは思いますが、実はそうやって過ごす時間が、父親を演じている時間なのです。

 娘と少し距離が開いてしまった父親が「いっしょにお茶でも飲まないか」と誘っても、そうすぐにはうまくいかないでしょう。それでもあきらめずにうまくいく方法を考える、それが父親を演じるということでもあります。こうしていっしょにいる時間を少しずつ延ばしていくことが、娘との距離を少しずつ縮めていくことにつながるはずです。
 最近娘と話ができなくなったことが気になっているお父さんは、とりあえずどうやって娘と過ごす時間を作り出すかを考えてみてください。何を話そうかというのは二の次でいいです。たとえば、母娘は女性同士でよく話をしています。こんな時、何となくそばにいるというのでもいいでしょう。積極的に話の輪に加わらなくてもいいのです。新聞を読んだり、テレビを見たりしながらでもいいですから、三人でいるという雰囲気を作り出すのです。
 話すことがなければ、いっしょに食事する時間を作ってもいいのです。じゃまにならないようにさりげなく存在感を示すことが大切なのです。近くにいて見守っていてくれると信じられるのが、「娘に好かれる父親」の共通点です。
                      
 娘を幸せにする第一歩は家の中にしっかりとした父の居場所をつくることです。居場所をつくって、まず自分がリラックスすることです。お父さんのリラックスした顔を見れば、家族も幸せになります。父の幸せな顔を見せることが大切なので、屋根裏部屋のような家族の目にふれないところに自分だけの居場所をつくってもあまり効果はありません。
 ダイニングでも居間でもいいですから、いつも家族が集まる場所に自分の気に入った場所をつくります。そして、家にいるときはいつも同じ場所に座って、おいしそうにコーヒーを飲んだり、新聞を読んだり、ノートパソコンを開いたりするのです。「そんな場所ならすでにある」という人も多いでしょうが、それなら、その場所をもっと活用することです。ゴルフクラブを磨いてもいいでしょう。釣り好きの人なら仕掛けを作ってもいい。娘たちに、父親が何かしている姿を見せるのです。好きなことをしていると、自然に幸せな、余裕のある顔になります。自分の居場所をもって、家族の前でリラックスして幸せな顔ができる父親は、娘も幸せにします。

 忙しく働くビジネスマンにとって時間は貴重なものです。早朝出勤や残業、仕事の持ち帰りなど時間をやりくりしながら何とか日々の仕事をクリアーしているのが現実の姿でしょう。少し前までは、家族そろってショッピングに出かけたり、娘の誕生祝いをしたりしていましたが、いつの間にか家族そろって何かをするということがなくなっています。娘にとって父親は「家でごろごろしているだけの人」になってしまいます。
 こんな時娘が突然の病気で入院してしまいました。父親は、まだ幼かった娘が高熱を出し、何もしてやれず、高熱に浮かされた娘の熱い手をただ握っていたときのことを思い出し、翌日からせっせと病院通いを始めました。仕事を終えると病院に飛んでいき、それでも面会時間ぎりぎりで、十分とか十五分とかの時間を娘と過ごすだけです。特別の話もなく、「具合はどうだ」とか「何か欲しいものはないか」などと言うだけで、帰っていきます。
 でも、母親を通してですが、「お父さんも意外にいいところがあるんだね」と言ってくれたそうです。草原で寝そべっているライオンのように、お父さんは普段はごろごろしてもいいのです。ただ、いざというときには何もかも放り出して妻や娘のために一生懸命になれる、そんなお父さんが娘を幸せにします。

 父娘関係がむずかしいのは、父と娘とはいえ、男と女だからなのです。男同士ならすんなりわかり合えるところでも「女性はわからない」というところがたくさんあります。考えてみれば妻との関係もそうだったはずで、お互いにわかり合える努力をして、そしてわかったような気になったり、衝突したりを繰り返しながら、夫婦の信頼関係を育んできています。
 ですから娘がわからなくなったら、照れずに今までよりもっと妻を大切にすればいいのです。何か目に見えるアクションを起こして妻が喜ぶ顔を見るのです。妻が幸せを感じれば、娘も幸せを感じます。妻を大切にする父は娘も幸せにするというわけです。

 いくつになっても娘をほめられる父は、娘を幸せにします。上手にほめられれば誰でもうれしいものです。それに、いくつになっても人は誰かにほめられたいと思っています。問題はほめ方です。たとえば子どもの成績が上がったからといってそれをほめたら、成績が落ちたときは、叱らなければならなくなってしまいます。
 ほめ上手な父親なら、結果ではなく努力のほうをほめるでしょう。ほめるにもツボとタイミングがあります。きちんと娘を見ていれば、そのツボとタイミングをはずすことはありません。

 少し背伸びをしてでも、娘が幸せに感じるような夢を持ちたいものです。もともと夢というのは少し背伸びしたところにあるものですから実を結ばなくてもいいのです。「父さんはこんな夢を持っているんだ」と語れるものが二つ三つあることが大切なのです。夢を育てている父を見て娘は幸せになるのです。父が娘に夢を語れば、娘もまた父に自分の夢の話をするようになるかもしれません。

 家族には記念日があります。夫婦の結婚記念日がありますし、それぞれの誕生日があります。これらの記念日は最初のうちこそ心を込めて祝いますが、だんだんと忘れられていく運命にあるようです。特に忙しく仕事に振り回されている男性にその傾向が強いように思います。でも、母親は違います。記念日を覚えているし、ささやかでもお祝いをしようと予定を立てています。家族の記念日を大切にする父親は、母親を幸せにし、娘を幸せにするのです。
         
 親が幼い娘に与えた価値観は、仮の価値観です。思春期を迎えた娘がそれを自分のものにしていくか、あるいは別の価値観を身につけていくか、賢明な父親なら黙って見守っていくのがいいでしょう。娘には娘の言い分があるはずです。お互いの信頼を深めるため、とにかくそれを聞いてみる、娘の本当の気持ちを大切にしてあげたいと思います。
 でも、物わかりがいいだけでは父娘関係は成り立ちません。娘が幼い頃のわがままは父親の「物わかりのよさ」でカバーできます。しかしわがままがエスカレートして物わかりのよさを演じきれない場面が必ず表れます。この時、大声を張り上げて娘を怒鳴りつけるか、もうこの娘のことはあきらめたといって無視を決め込むか、どちらにしても極端な方向に行ってしまう気がします。

 もともと父親は娘に甘いものです。だからこそ、あえて厳しい顔をして娘をたしなめなければならないときがあります。それが娘のためになると信じて世の中のルールを教えるのが父親の役割です。でも、娘に伝えたいモラルやルールは、父親が実践する範囲でしか伝わりません。娘は意外にこまかく父や母の行動を見ています。娘の前でいくらお説教しても、両親が実践していなければ、聞き入れてはもらえません。
 好かれる父親は娘のしつけをおろそかにはしません。その時は口うるさいと思われても、あとで必ず感謝されるときがきます。
父から娘に、娘から子どもにと広い意味でのルールを守る意識が受け継がれていけばいいのです。

      多湖 輝「なぜか娘に好かれる父親の共通点」(新講社)より 文責:圓山