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国立療養所邑久光明園の歴史

明治40年3月18日に発布された法律第11号「癩予防ニ関スル件」に基づき日本全国を5つに区分し「らい」患者の収容施設が出来ました。

第1区 東京都を中心とした関東信越地方
第2区 北海道を含む東北地方
第3区 大阪府を中心とした近畿地方
第4区 中国四国地方
第5区 九州地方全域

国立療養所邑久光明園は第3区連合府県立の「らい」療養所として、明治42年4月1日に大阪府知事の管理による京都府、兵庫、奈良、和歌山、三重、滋賀、岐阜、福井、石川、富山、鳥取の2府10県により大阪府西成郡川北村(現在の西淀川区中島)の神崎川河口に収容人員300名で「外島保養院」として開院されました。
収容患者数は年を追う毎に増加して行きました。大正8年に国は「らい」患者の全国一斉調査を行った結果、国内に1万6千人の患者が存在することが確認されました。 これらの状況から内務省は「らい」療養所の増床を図り、大正13年に外島保養院の収容人員を1,000名にするよう指示しました。
増床場所として、現在地は海抜0mのため、不向きであり府内の丘陵地を買収しましたが地元民の反対により移転出来ず、現在地での増床を余儀なくされました。

昭和9年8月末、完成間近の建物がずらりと並ぶ中、9月21日に襲来した「室戸台風」により、外島保養院は壊滅し、入所者173名、職員3名、職員家族11名、計187名もの尊い命が亡くなりました。これはハンセン史上、最も悲惨な出来事です。 同年9月24日に内務省は生存入所者416名を、他の「らい」療養所へ分散委託することを決定し、入所者達は外島保養院再建を信じ委託先へと出発しました。

委託先
岡山の長島愛生園 78名(現、国立療養所長島愛生園)
熊本県の九州療養所 50名(現、国立療養所菊池恵楓園)
香川県の大島療養所 70名(現、国立療養所大島青松園)
東京都の全生病院 70名(現、国立療養所多磨全生園)
青森県の北部保養院 50名(現、国立療養所松丘保養園)
群馬県の栗生楽泉園 98名(現、国立療養所栗生楽泉園)

外島保養院の早期復興が望まれましたが、大阪府及びその周辺で復興地はなかなか見つからず、昭和10年8月になって復興の地を「岡山県邑久郡裳掛村(現在の邑久町)大字虫明長島」に決定しました。この長島には既に長島愛生園が存在していたため、島を二分する形で、西側の未使用地に11年4月から再建工事が開始されました。
昭和13年4月、再建工事の落成式が挙行され名称も「外島保養院」から「光明園」と改称され、気分も新たに開園されました。同年6月〜7月にかけて入所者は委託先から帰園しました。416名のうち帰園した者は309名であり残りの者は委託先に留まる者もいましたが、70名を超える者は既に帰らぬ人となっていました。

昭和16年7月1日、第3区連合府県立療養所は国に移管され、厚生省の所管となり名称も「国立癩療養所邑久光明園」と改称されました。 昭和21年、「国立癩療養所邑久光明園」は「国立療養所邑久光明園」に改称されました。 昭和28年8月「癩予防法」は「らい予防法」に改正されました。 昭和29年4月1日、附属准看護学校が看護職員を自前で需給するという目的で開校されました。

二つのハンセン病療養所がある長島と本土とは、潮の流れが早い海峡で隔てられており長島への行き来は、機帆船や手漕ぎの舟を使用しなけれならず非常に不便、かつ不自由でした。しかしこの海峡は最も狭いところで30mにも満たない幅であり、長島愛生園、邑久光明園両園の入所者及び職員にとって、この海峡に橋を架けることは長年の悲願でありました。
昭和63年、長年の悲願であった海峡への橋が遂に架かり、名称も「邑久長島大橋」として同年5月9日に厚生大臣の来島により盛大に開通式が挙行されました。

平成8年4月1日、90年に及ぶ隔離政策であった「らい予防法」が廃止となり新たに「らい予防法の廃止に関する法律」が制定されました。この法律により入所者は当然の権利として、療養所を離れることができることになりました。しかし当園での入所者の平均年齢は79才と高齢でありその上、ハンセン病による後遺症としての視力障害、四肢機能障害等を有し、また家族等の受け皿の問題、また社会のハンセン病に対する差別、偏見の問題等々があり社会復帰者は1人もいない状況です。

予防法が廃止されたからと言って手のひらを返すように、ハンセン病に対する差別偏見が無くなるわけではありません。未だに根強いものが存在しています。当園では法の廃止後も療養所で生活される入所者の方々に対し、引き続き、最新の医療の提供、生活の質(QOL)の向上のため、あらゆる支援業務を行なうと同時に、ハンセン病に対する社会の差別と偏見を無くするため、啓発活動に一層努力して行く覚悟です。

平成17年12月2日現在入所者数 252名(男131名、女121名)

【 おことわり 】 文中「らい」「癩」と「ハンセン病」という2つの呼び名がでてきますが、法律用語は、「らい」「癩」をかえることが出来ないため、この言葉を用いています。 予防法廃止後の呼び名は、らい菌を発見したノルウエーの医師、ハンセン氏の名前をとりハンセン病と呼ぶようになりました。
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