コラムNo.1~32 (最新記事はこちら)
指宿 菜の花 通信No.32「田舎医者の流儀 (4)・・・困った患者」
長年医者をやっているといろんな患者さんに遭遇する。殆どの方とは良好な関係を築ける。患者さんが診察室に入ってくる「今日はどうですか、苦しいところはなかですか」と優しい気持ち、表情で話しかける。一般に、患者さんはお医者さんには話しにくいようだ。そこでこちらが上から目線になったら、なお話しにくくなる。同じ目線で、対等な人として接するなら、何でも話してもらえる。特殊なテクニックとしての接遇があるのではなく、単に対等な人として接すればよいだけの話だ。しかし、中には困った、こちらの気持ちが通じない患者さんもいる。そんな困った方にはこちらも毅然たる態度をとらざるをえない。
病棟看護師長が困り果てて、相談に来た。「28歳の女性患者さんですけど、胸が苦しいと言って救急車で入院してきた。1週間の間いろいろ検査したけど、異常が見つからない」「主治医が退院を勧めても、俺は(この女性患者の言葉)苦しいのに治しもしないで、追い出すのか」「病室で腕の注射跡を見せて、昔、ヤク(薬)をやっていた」「看護師を呼びつけてあれをしろ、これをしろと本来業務に支障をきたしている」等々、言いたい放題、やりたい放題である。周りの患者さん達がいやがって、4人部屋を一人で占拠、病棟運営にも支障をきたしているという。
看護師長は私にその患者と話して、退院を促して欲しいようだった。ところで、そんな理の通じない患者と交渉するには「武器」が必要だ。「師長、この患者は主治医の言っている事は聞いているのか」「主治医や看護師の言う事は聞きません」「例えば」「今朝もベランダで禁じられているタバコを吸っていて、注意しても聞き入れませんでした」。それだけ解れば十分だ。その患者を別室に呼んで、主治医、師長立ち会いの下で、話を始めた。
「あなたの症状を聞き、主治医は必要な検査をしてきましたが、異常はないようです」「俺は苦しいのにどうもないとは、おかしい」「必要な検査も終わり、器質的疾患はないようです。退院していいです」「治しもしないで追い出すのか」「あなたは今朝、禁じられたベランダで喫煙していた。療養規則を守っていない。そんな方を入院させておくわけにはいかない」「お前達は治しもしないで追い出すなら、わしは入院費を払わない」「そうですか、それなら私達はしかるべき手続きをとります」「それは俺を警察に訴えるということか」「そんなことは言っておりません。しかるべきと言いました」。警察をにおわすこちらの発言を聞いたとたんに、この患者は落ち着かなくなり、その日のうちに入院費も払わず、退院した。もちろんその後入院費を払うことはなかった。よくある話だ。こうした事態が起きたら「現場」のみに任せず、「上」も一緒になり解決する努力が大切だ。
平成24年4月25日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.31
「田舎医者の流儀(3)・・・ムンテラ」
医師が患者さんや家族に病状や治療方針について説明することをムンテラ(MundTherapie)と呼んでいる。インターネットで調べるとあまり良い意味では使われていないような記述もある。患者さんに解るように説明するのがムンテラだが、意を尽くして説明をしても理解して頂けないことも稀ではない。理解して頂いていない場合、若先生方に「お前の説明が不十分だからだ」言うとたいてい「説明しましたよ」とムクレル事が多い。しかし、相手に理解して頂けなかったら、解るような説明をしなかった事に問題があると敢えて言っている。
検査して病気が見つかれば、それを説明(ムンテラ)することはそれほど難しい事ではない。例えば、「胸に締め付ける痛み」があると来た患者さんに必要な診察・検査を行い、心筋(心臓の筋肉)虚血を示す所見があると「狭心症」の疑いが強くなる。狭心症の病態、今後必要な検査を説明する。検査で心筋虚血の原因として冠動脈狭窄が証明されたら、いくつかの治療法を説明する。合併症など慎重に検討、粛々と治療に取り掛かっていく。それぞれの段階でムンテラが行われる。
いろいろの訴えのある患者さんに種々検査して器質的疾患がない場合、逆に難しい事もある。多くの場合、丁寧な説明をすれば納得して頂ける。しかし中には「こんなに苦しいのに何もないとはおかしい」と不満を訴える方もいる。「何もないですよ」ということはなかなか難しい、人の体は複雑なので全部絶対大丈夫かと言えばそれほど簡単ではない。そこで、こちらがあいまいさを感じさせる説明をすると、そういう患者さんは納得せず、ドクターショッピングに追いやってしまう。医師としての経験と知識が試されることになる。
外科の患者さんが重症で次々に治療の難しい事態が発生し、主治医が懸命の治療を行うも改善しない。患者さんの娘さんは医療関係者、母親の病気を心配し、毎日、土・日曜も説明を求めた。それも自分の勤務の都合で午後7時からである。主治医は土・日曜も出てきて、希望される午後7時に説明を行った。不幸にして患者さんが亡くなった、娘さんは「治療過程に不満がある、十分な説明を受けなかった」と言い出した。私は報告を聞き、主治医が自分の生活、家族を犠牲にし、懸命の診療をしていることを知っていたので、悔しい思いをさせられた。事情を知らない人が一方的な意見を聞いたらなんと酷い主治医だと思うかもしれない。
「ムンテラ」、この時代、患者さん、家族の状況を配慮しながらも、できるだけありのままに隠しだてしないで説明し、カルテに記載するようにしている。
平成24年4月10日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.30
「肥満・・・人の体・・・経済」
1935年、米国コーネル大学栄養学者クライブ・マッケイ博士は「実験用マウスの摂取カロリーを65%に制限すると平均寿命が2倍近く伸びる」と報告した。その後、様々な動物でカロリー制限により寿命が1.4~1.9倍延びる事が明らかにされてきた。米国・ウイスコンシン大学のチームは76匹のアカゲザルを使って20年間研究し、成人した後(15歳)、通常食群と30%減群に分けて飼育、カロリー制限群はしわや白髪が少なく、生活習慣病や老年病で亡くなる数が1/3に減少、平均寿命も長くなったと発表した(2009年)。
カロリー制限が寿命を延ばすメカニズムについては多くの研究が行われている。ボストン・マサチューセッツ工科大学L・ガレンテ教授は酵母寿命の研究から長寿遺伝子サーチュインを発見した。その後の研究で、サーチュインは様々な長寿を司る遺伝子群を発現させる司令塔であると考えられるようになってきた。カロリー制限によりサーチュインが活性化され、体のエネルギー産生を司るミトコンドリア力をアップし、このことが長寿に結びついていると考えられている。
肥満症では脂肪細胞が肥大化してくる。正常の脂肪細胞はエネルギーの貯蔵庫として中性脂肪を蓄え、動脈硬化を防ぐホルモンを出し、最近ではサーチュインを活性化する物質を出す事も明らかになってきた。一方、肥満した脂肪細胞は血圧を上げ、インスリンの働きを邪魔するホルモンを出し、高血圧症、糖尿病、脂質異常症を悪化させる方向に働く事が明らかになってきた。
世界経済はリーマンショックから十分立ち直れない状況下で、更にギリシャの財政破綻などもあり「二番底」に向かっているのではと懸念されている。現在の経済危機を作り出しているのはどうも金融資本の暴走にあるようだ。金融は正常に機能しているかぎり、実体経済を発展させる方向に働き、新しい産業の創出など経済発展に貢献してきた。しかし、今の過度に肥大化した金融は発展したコンピュ―ターを駆使し、実態に合わない取引を繰り返し、利ざやを稼ぎまくっている。ギリシャの財政破たんを誘導したのも債権隠しを指南し、利ざやを稼いできた投資顧問会社にあるという(ゴールドマン・サックス研究 神谷秀樹 文藝春秋社)。
正常の脂肪細胞は体の機能を保つ方向に働き、一方、過度に肥満した脂肪細胞は体の機能を悪化させる方向に働く。経済における金融も正常に機能しているかぎり、実体経済を発展させる方向に働き、過度に肥大化した金融は経済を食い物にし、破壊する。本来の役割以上に過度に肥大化した「脂肪細胞」と「金融」は「人の体」と「経済」を破壊してしまう点でよく似ている。
平成24年3月6日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.29
田舎医者の流儀(2)・・・「はいわかりました。どうぞ」
年末、知人から「義理の母が自宅で倒れ、体が動かない、意識がもうろうとしている、救急隊に連絡し、市内の某病院に運びたい。申し訳ないが、その病院に受け入れてもらうようにお願いしてもらえないか」と電話が入った。その病院にすぐ電話した。事務日直のお嬢さんが「どんな具合なのですか、症状を詳しく教えて下さい」。こちらは実際に患者さんを見ていないので、十分答えられない。仕方がないので「当直の医師と変って下さい」とお願いした。大分渋っていたがしぶとく粘ってやっと電話を回してもらった。
当直の医師は外科の医師だという。やはり、しつこく病状を聞き、ベッドが空いているか解らないと云う。少々頭にきて「脳卒中らしい症状ですよ、受け入れて下さいよ」と強引に頼み込み、なんとか受け入れてもらえた。大体、年末でベッドは空いているはずだし、かねがねこの病院は急患を何時でも受け入れますと宣言している病院だ。それが受付も、当直医も「はいわかりました。どうぞ。」という体制にない。
指宿の医療提供体制は、地方の医師不足を反映し、厳しい状況にある。それでも、指宿の救急医療体制はそれなりに問題なく機能している。指宿医師会は「救急患者」を放り投げないという原則で、可能な限り対応する体制を作っている。更に、住民懇談会を開き、コンビニ受診を控えることや、小児科の患者さんであっても全てを小児科医で対応出来ない事などを理解して頂く活動もしている。地域の中核病院である当院は医師会の先生方から依頼があったら「はいわかりました、どうぞ」と受け入れる事を原則としている。
ある地方の医師が救急機能を持つ病院に受け入れを依頼した。「解離性大動脈瘤みたいですが」「造影CTはしてありますか」「いいえ、していません」「それをしてから又連絡してください」と云われた。夜中であったが、レントゲン技師を呼び出し、造影CTをしてやっと受け入れてもらえたという。その医師は「二度とそういう病院には頼みたくないけど、この疾患を受け入れる所は限られているので困ったものだ」と話していた。それに類する話は多い。「心筋梗塞みたいですがお願いします」「どの部位の心筋梗塞ですか。前壁ですか、後壁ですか。CPKはいくらですか」等々、急患で十分な検査を出来ず、依頼するとき大変気を使うという。
医師が診て「なになにみたいですが」と言ったら「はいわかりました。どうぞ」と云えば良い。「いろいろ準備があるから」と言うが、急患を受け入れる以上はそれ位対応できるシステムを作って欲しいものだ。
平成24年2月7日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.28
「おばかに見える真っすぐさ・・・」
東北・関東大震災から10ヵ月近くを経て、2012年新年となった。復興は被害の大きさもあって遅々として進んでいない。更に福島原発事故により放射能汚染に曝された地域は復興の道筋すら立っていない。困難な課題であるが、知恵を出し合い、譲り合い解決に向けての努力が求められている。
政治の方は野田政権が誕生して4カ月しか経たないのに、早くも支持率は40%を切り、相変わらずの短命内閣の様相を呈してきた。年に一回総理大臣を変えて、この日本はどうなるのだろう。ギリシャ型の破綻を回避するには、いつかは消費税の値上げは避けられないのだろう。しかし、その前にすることがある、国会議員の定数削減・給与削減、公務員の人件費の削減などだ、国民が求めている事をさっさとやれば良い。国会で反対が多いのなら解散して、それで民意を問うたら良い。国民は冷静な判断を下すと思う。
「おばかに見えるほどの真っすぐさ。あれが最大の武器」。ソフトバンクの川崎宗則内野手が大リーグマリナーズ入りを目指していることに対するイチロー選手のコメントだ。30歳の川崎選手が今の保障されたレギュラーのポジション、高給を捨て、何の保証もされない世界に飛び立とうとしている。ただただ、自らの理想のためであろう。その「真っすぐさ」を見抜き、評価するイチローの見識の高さに脱帽する。いずれにしろ、この薩摩のサムライ・川崎選手に拍手を送りたい。
この国には評論を生業とする者が多すぎる。自分は安全な所に身を置き、戦わずして、御高説を垂れている。批判を覚悟で、自らの「小さな権益」を捨て行動する人が求められている。「おばかに見える真っすぐさ」が必要で、この難しい時代を変えるにはそんな人が求められている。
医師になって40数年、多くの若い医師と接してきた。今は教授となった某先生は、医師になり始めの頃、患者さんを診るとこのケースは面白いですね。症例報告が出来るかもしれないといつも言っていた。実際は経験不足のために、ありふれたケースをそういうふうに言うことも多かった。しかし、この先生は伸びて行った。優れた研究をし、論文も多数発表し、教授にもなった。
研修医をはじめ若い先生方と接する事が多い。研修の条件、給与などもそれはそれで大事と思う。もっと大事なことは医師になろうと思った原点、どういう医師を目指すかと言うことだ。「おばかに見える真っ直ぐさで」追求していきたいものだ。
平成24年1月17日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.27
「今年はどんな年だったのか・・・」
一年が過ぎるのが早い、もう今年も終わりそうだ。齢68歳にもなると、特にそう感じてしまう。年をとると代謝が鈍くなり、実時間をより長く感じ、そのため逆に一日が短くなるのだそうだ。そうは 言っても、我が人生の一年である事に変わりはない。
3月11日の東北関東大震災は2万人近い人が犠牲になった。「想定外」の大地震・津波であったと云われている。我々は「想定外」と言っているが、知らないからそう言っているだけかもしれない。36億年の地球の歴史の中では「想定内」なのかも知れない。867年に起こった貞観三陸地震は今度の大震災と同程度の大地震・津波であったという。しかし、その記録があるわけではない。地質学的調査で証拠が集まってきている。地震の記載のあるのは日本書記(5世紀)が最初という。日本列島の長い歴史(約13000年)の中で文字記録が残っているのはわずか1500~1600年位の事で、それ以前の長い歴史ことを我々は十分には知らない。
20世紀初めロシアに隕石が落ちた。その時の様子が「1908年6月30日、シベリアの僻地、上空8キロメートルの地点で爆風が発生し、一帯が壊滅的な被害を受けた。近くの森で火事が発生し、2600平方メートルを越える範囲で8000万本の木がなぎ倒された」「落下した物体の直径は30メートルであり、地球にぶつかるのは100年に1回程度だ。・・・50メートルの隕石は1000年に一度」(すべてはどのように終わるのか・・・How It Ends from You to the Universe :クリス・インピー 小野木明恵訳)と記載されている。
この星・地球には制御できない危険―地震、津波、火山、気候変動、大型隕石落下などーに満ちている。その中で我々は核物質の最終処理を出来ないまま、原発を利用している。これが制御できない危険に出会ったのが、今回の福島原発の事故となる。この大災害は我々に今一度立ち止まって、今後の「有様」を考えるよう求めているように思う。
この大災害の中でも我々の日常は流れていく。NHO指宿病院での総合内科医としての生活も3年目、今迄、循環器専門医として仕事をしてきたので、内科全般の患者さんを診ることは勉強させられる。しかし、そのことは結構楽しい。指宿病院の再建も、ここ数年の努力で、おおよそ目鼻が立ちそうだ。ここで働く者としては大変嬉しく思う。もうひとつの仕事、鹿児島県の研修医を増やす活動では、来年80名を超える見通しとなった。この数は6年ぶりである。評論や弁解をしているのみでは事態は改善しない、具体的に改善の姿、数を出していく事が重要と思っている。
平成23年12月27日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.26
「田舎医者の流儀・・・・・まず診る」
午前中の診察を終え、ほっとして昼飯を食べていた。そこに外来看護師から「胸が痛いという患者さんがみえています」と電話があった。受付時間内に来れば良いのにと一瞬ムッとしながら「胸のレントゲンと心電図を撮っておいて」と言おうと思った。しかし、かねがね若い医師に患者さんの顔を見てから、検査を出しなさいと言っている手前、診察しようと思い直して、昼飯を途中で止めて診察室に下りて行った。
50歳代の小柄な女性がうつむき加減に診察室に入ってきた。「胸が痛いのはいつからですか」「前からです」「いつ頃からですか」「わかりません」「胸のどこが痛みますか」「全体です」「痛みは持続的ですか、発作的ですか」「全部痛いです」という会話の後、診察しましょうと言った。なにか、もじもじしている。「診察しますので上の服をとって下さい」。胸の下着に血が付いていて、左乳房の一部が潰瘍化、出血している。一見して、乳がんで表面が潰瘍化していると考えられた。外科に確定診断をお願いした。診もしないで、検査に出したら恥ずかしい思いをするところだった。
前の病院にいた頃の事だが、「胃が痛い」と60代の男性が受診した。顔面苦悶状でうっすらと冷や汗をかいている。今朝、胃が痛いので某大病院を受診した、診察なしに胃の検査にまわされた。医師は出来上がったレントゲン写真をみながら、胃に異常はないと言った。患者さんが言うには「写真だけみて私の顔は一度も見なかった」という。「苦しいのですが」と言ったけど、胃はどうもないとの一点ばりで、それ以上は聞いてもらえなかったという。違う病院で診てもらおうと来院したという、一見して重症感があった。すぐ心電図をとり、急性心筋梗塞と診断し、緊急入院となった。最初の医師が患者さんの顔を一瞥していたなら、何らかの次の手が打てたように思う。
ヴァイオリンの銘器ストラディバリウスは本物か否かを見分ける確かな方法はなく、ヴァイオリン商はそれを独特の勘で見分けて行くのだそうだ。良いヴァイオリンを見極めるには1秒も掛からないという(本物を見極める…佐藤輝彦著)。そう簡単にいくわけだはないだろうが、勘の占める部分が大きいのだろう。病気の診断も簡単ではないが、訴えを聞き、診察をして大凡の見込みを付ける。思い込みは良くないが、勘も大事である。日々の診察の積み重ねの中でそれを磨いていかなければならない。間違いを避けるためには冷静に裏付けを取っていく。現在の医学は検査法が進歩しているので、裏付けを取る事は我々が医師になった4~50年前に比べるとはるかに容易になってきている。それでも検査が先ではない、愚直に患者さんの話を聞き、診察をして、検査で裏付けして行くという順番が大事であると思っている。
平成23年12月9日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.25
「初期臨床研修医(鹿県)減少に歯止め」
本年度、初期臨床研修医の最終マッチング結果が発表され(H23/10/27)、本県の最終マッチング者数は97名、昨年より24名増となり、平成24年度の初期臨床研修医は80名を超える見通しとなった。新しい臨床研修医制度が導入されて以降の本県初期臨床研修医数減少傾向に歯止めが掛ったと評価している。新制度となり、H16 年(初年度)105名とそれまでと大差なく、H17、18年度迄は87名、極端な減少はなかった。しかし、それ以降、都会の大病院の「魅力ある」研修状況が医学生側に伝わるようになり、H19、20、21年は57、68、54名と減少し、H20年はH16年の半分となり激減した。H20年から対策を始めたが、H22 、H23年は75、64名と増加せず、H24年度やっと80名を超える見込みとなった。80名を超えるのは6年ぶりである。
我々は本県の初期臨床研修医の減少に手をこまねいていたわけではないがいろいろの条件で対策が打てなかった。しかし、このままでは鹿児島の地域医療は崩壊すると有志(臨床研修病院院長)が集まり、H20年春、医学生向けの「鹿児島県初期臨床研修病院合同説明会」を開催、鹿児島の研修医を増やす活動が始まった。平成21年5月には「鹿児島県初期臨床研修連絡協議会」が発足、この協議会には県医師会、鹿児島県、鹿児島大学医学部、14の県内管理型臨床研修病院、公的病院会、全日本病院協会鹿児島支部の代表が参加し、オール鹿児島体制での取り組みを始めた。
本協議会は初期臨床研修医の希望する「魅力ある研修プログラムの作成・改変」「研修条件の改善(給与の改善、宿舎の提供)などに取り組み、県医師会は「医師不足対策基金」を立ち上げ、研修医への生活支援、研修医獲得活動への援助を行った。魅力ある研修体制の整備を進める一方でそれを医学生に知らせる活動も強化した。医学生への本県研修病院の研修内容を説明する合同説明会(春、秋2回)の開催、東京、大阪、福岡で開催されるレジナビフェアー等への参加など本県研修病院の紹介・露出を積極的に行ってきた。また、鹿児島県出身の他県医学部在学中の学生への働きかけも強め、大学所在地まで出かけて行う説明会(出前セミナー)を琉球大学はじめ9大学で行った。こうした活動が少しずつ実ってきたのではないかと思っている。しかし、この制度が始まる前は約100名の新人医師が鹿児島に残っていたので、最終的にはそれを超える事を目標にしている。
物事を進めるには実行部隊が必要である。この活動の事務局を担っているのは県保健福祉部地域医療整備課である。私と共に行動する「公務員」は信じられないぐらいよく働く人ばかりだ。
平成23年11月16日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.24
「下町ロケット」
最近「下町ロケット」という小説を読んだ。下町の町工場の社長さんが主人公だ。製品を納めていた大企業から、突然「自社で生産することになったので取引を中止したい」と申し渡され、経営上大打撃を受ける。追い打ちをかけるように製品面で競合する一流企業から「あなた方の主要製品は当社の特許を侵害している」と訴えられる。「そんな、とんでもない言いがかりだ」と歯ぎしりするが、訴訟を起こした「一流会社」の目的は訴訟に勝つ事ではなく、言いがかりを付けて町工場の信用を失墜させることにある。そういう風評の中では銀行の融資もされにくくなる。一流企業の担当者は「これで町工場の経営が経ち行かなくなる、その時点で買収し、町工場の持つ技術もそっくり手に入れる」とうそぶく。「人は法と倫理で生きていくけど、企業は法さえ守れば良い」とも言う。なんだか今起こっている福島原発事故を見ているような感じだ。
離婚した奥さんの紹介した腕利きの弁護士さんが奮闘、この訴訟を何とか乗り切る。今度は町工場の持つロケットエンジン部品の特許を初の国産ロケットの打ち上げを狙う超大企業から狙われる。特許を買い上げると持ちかけられる。主人公は悩んだ末、その特許技術を持ってロケット打ち上げに参加したいと申し入れる。超大企業側は「しがない町工場」の申し入れに怒り狂ってしまう。しかし、特許は物作りに使ってこそ生きてくる、それに参加してこそ今後の自分たちの物作りが進歩すると考える主人公は粘り強く交渉し、ついにロケットの打ち上げに参加することになる。ついに下町の技術を積んだロケット打ち上げは成功する。まあー、こんな物語だ。
単純な私はこんなストリーが大好きだ。私は昭和44年に医師になった。3年近く鹿児島大学で研修、昭和47年1月から久留米大学で循環器病の研修、昭和48年11月鹿児島大学に帰り、循環器病に一人で取り組み始めた。循環器病の分野は一人でやれるわけもない、若気の至りでそんなことも十分理解していなかった。ただただ循環器病を勉強したいとの思いが強いだけであった。幸いにして、地位も、名誉も、研究費も、何もないところにどういうわけか飛び込んできてくれる仲間がいた。そんな仲間が現在90名もいる。
中小企業どころか零細企業であった我々には様々な「言葉」が浴びせられた。「お前らの循環器病の診療は開業医以下だ」「エコーの機械は殆ど毎日我々が使っている、君たちは金曜日午後だけ使いなさい。夕方は使っても良いけど、自分たちが検査に来たら君たちが検査中でもすぐ立ち退きなさい」「中村は俺の眼の黒いうちは絶対に院長にしない」等々。大企業が零細企業をいじめるのはどこでも変わらない。「権力」は自分の為に使うより、「公と他人」の為に使うとカッコ良いのにと思う。
平成23年10月21日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.23
「捨て難しとて捨てざらむや」
前任の鹿児島医療センターを定年退職した時、約500名の外来予約患者さんがいた。この病院で17年間診療し、院長になるまで毎日外来を診ていた。院長になっても週3日は外来に出ていた。それに、その前の鹿児島大学病院に24年在籍したので、約40年間、鹿児島市で診療したことになる。長い時間の流れの中で、地域の先生(医師)方、患者さんとそれなりの繋がりを持ってきたので、退職時はこれ位の外来患者さんがいたという事になる。
さて、退職時これらの患者さんをどうしたものかと考えた。多くの長い付き合いの患者さんを診療し続ける方法としては、引き続きこの病院で非常勤医師として外来を診るか、市内のしかるべき病院に勤務して希望される患者さんを診る方法などが考えられた。しかし、そのいずれも選択しなかった。長い付き合いの患者さんには大変申し訳ないと思いつつも、この病院を受診されている患者さんは循環器の専門医療を希望されている方である。その希望には後輩の優秀な医師が答える力を持っている、私が何時までも「自分が診ない」と思うのはおこがましいと思った。例え、今回私が診る体制を作っても何時かは退かないといけない時は来るわけで、其の時期が今来たと思って頂ければと考えた。そんなわけだ、今まで診ていた患者さんには大変申し訳ないと思いつつ、後輩医師に託することにした。
定年後は指宿病院の田中院長にお願いして、非常勤医として週3日、外来診療を中心にして働くことにした。総合内科医としての辞令を頂き、今までの循環器専門医としての専門分野の診療から、内科全般を診る立場になった。循環器疾患の患者さんを診ると「今日は循環器専門の先生は診てくいやらんとな」と言われ事もあった。熱発、検診など一般内科の患者さんを主に診ている。それでも今まで自分で診断したことのない「マラリア」「眼窩腫瘍」などをみつけて、それなりに自己満足している。患者さんに「先生はやさしいね」「よく説明してくれてありがとう」「良い先生に会えて良かった」などとリップサービスして頂くと素直に喜んでいる。
診療以外では「鹿児島県保健福祉部地域医療特別顧問」という肩書を頂き、研修医を増やす活動、鹿児島県医師会常任理事として「医師確保」の仕事にも取り組んでいる。その中で、今まで経験しなかった出来事や新しい出会いを頂いている。定年という区切りを頂いたので、そうした新しい事が出来ていると感謝している。迷惑をかけた面も多いと思うが、この年、このキャリアでないと出来ないこともあると思うので、この形で少しお役に立てれば良いかなと考えている。
「捨て難しとて捨てざらむや」(徒然草)
平成23年9月28日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.22
「ミッション」
後輩のH先生はそれまで週2日、坊津町立病院(当時、現在は市立病院)に診療応援に行っていた。その病院から常勤で来て欲しいと要請された。私は「先生は唐津の出身だし、同じ‟津‟の坊津だし、縁があるではないですか」と話した。殆ど意味不明の「口説き」にもかかわらず、H先生は「いいですよ」と引き受けて、20年そこで地域医療を担っている。
これももう15年位前の話だが、県立大島病院が副院長を求めていた。奄美大島出身の後輩のS先生にどうしたものかと相談された。私は「今、大島病院で亡くなっていく人達は、未だ大和ちゅう、島ちゅうという意識をもった世代だ。地元出身の先生がその人々を見送ってあげると、心安らかにあの世に行けるのではないですか。じいちゃん、ばぁちゃん達が喜ぶと思うよ」と話した。そんな話に乗って、S先生が赴任したとは思わないが、その後、奄美大島で地域医療をしっかり支えている。
今度は、比較的最近の事で、当院の田中院長が赴任してきた時の話だ。平成18年秋頃、田中先生が当時属していた鹿児島大学病院を出ることになった。そこの教授に田中先生を指宿病院にどうですかと話した。教授は「えっ、指宿病院ですか。もっと彼にふさわしいポジションはないのですか」と言われた。もっともな事で、彼はその大きな内科教室の教授の次のポジションにいた。その人を当時、国立病院機構の中でも最も下の方にランクされる大赤字病院・指宿病院の診療部長にという話だから、普通では考えられない人事であった。
指宿病院は平成14年24名いた医師が平成18年は14名に減っていた。平成19年度は10名程度になり、病院としてやっていけないのではという瀬戸際に追い詰められていた。当時の院長が涙ぐましい努力をしていたが、全体の流れの中でいかんともしがたい状況にあった。九州の国立病院機構の有力院長が「指宿病院の再建は無理だよ」と冷たく言われたこともあった。しかし、指宿病院は地域の中核病院であり、これがダウンしてしまうと、地域医療・地域社会が成り立たないことになる。私は前院長と同期で、近くにいたのでその苦衷が分かっていた。
そんな中で、私は「田中先生、日本一の赤字病院を再建出来るのは先生しかいない」と口説いた。そして平成19年4月、教授も彼の「心意気」を是とし、消化器内科3名を加え、計4名で赴任することになった。それから2年後、平成21年4月、田中院長が誕生した。そして、誰も出来そうにないと思っていた指宿病院の再建が実現しつつある。面白いものだ。
平成23年8月24日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.21
「医師確保の旅」
この4月以降、九州大学、福岡大学、川崎医科大、長崎大学、久留米大学、大分医科大、佐賀医大、琉球大学の鹿児島県出身医学生との懇談会を、それぞれの大学所在地に出かけて開いてきた。鹿児島県内初期臨床研修病院の紹介を行い、引き続き意見交換を行う、「出前セミナー」と称している。県外医科大学で勉強をしている本県出身医学生を「初期臨床研修」で地元鹿児島にU-ターンをさせることが目的だ。
鹿児島県初期臨床研修連絡協議会が主催している。事務局の鹿児島県庁保健福祉部・地域医療整備課が準備、連絡、場所の設定などを行っている。出かけていくのは本協議会の会長である私、担当課長の中俣先生(自治医大卒)、鹿児島大学病院卒後臨床研修センターの加治先生、瀬戸山先生、それに県庁の事務方などだ。
鹿児島県で初期臨床研修を受ける医師が少ない原因として、研修プログラムの魅力がない、研修条件の整備が遅れているなどの問題点が指摘されてきた。平成21年5月に発足した鹿児島県初期臨床研修連絡協議会はこれらの問題点の地道な改善に取り組んできた。例えば、鹿児島大学病院は臨床研修センターを発足させ、研修医のためのレジデントハウスの建設、研修プログラムの改定を行ってきた。各研修病院も同様な努力を重ねてきている。この2~3年鹿児島県の「初期臨床研修」への取り組みは大きく変わってきている。そのことを宣伝して歩く旅である。
鹿児島県の初期臨床研修医はこの制度が始まった平成16年105名、平成17年、18年87名、その後段々減って平成21年には54名となり、半減してしまった。これに伴い、鹿児島大学病院への入局者も減り、それまで年100名位供給されていた新人医師が40名台とこれまた半減してしまった。地方の医療機関の医師は鹿児島大学病院からの派遣で充足されてきたので、一挙に医師不足が顕在化することになった。ある市立病院は12名いた内科医が現在2名しかいない。
本県の医師不足の主な要因は卒業後新人医師の県外流出にある。それを食い止めるために、県医師会、行政、鹿児島大学病院など臨床研修病院が一体となった努力をしている。この出前セミナーも県庁の方々の実務的な努力、県医師会医師不足対策基金からの財政援助などによって行われている。こんな努力が実を結ぶか、結果は判らない。「そこ迄やらなくとも」と冷めた見方もある、しかし、「やらなきゃ」何も変えられないと思っている。
平成23年7月27日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.20
「空腹を感じますか」
いつ頃からだろう、私は「空腹感」を失っていたようだ。私は昭和18年生まれ、戦後の食糧難の時代に育った。いつも「ひもじい」思いをしていた。「粟飯」や「サツマイモ」の一杯入ったご飯を食べさせられ、お正月や節句の白いご飯が嬉しかった。甘いものもなく、母が土間でサツマイモを一日中「ぐつぐつ」煮て「芋飴」を作り、熱いのをフーフー言いながら食べたのを思い出す。
そんな育ち方をしたので、出てきた食事を残さず食べる習慣がついた。腹一杯食べられる事が嬉しく、空腹に対する恐怖感を持ちながら生きてきたと言える。その結果は当然肥満になり、ついには糖尿病を発症する事になった。父母とも糖尿病はなかったので、そうした自分の食行動が糖尿病発症の原因になったと考えている。我々の世代には「自分は空腹ということを知りませんでした」「空腹感からものを食べた記憶は殆どありません」(人間失格 太宰治)という人は極めて少ないように思う。
ところで、1935年頃からの研究で、線虫、ショウジョウバエ、マウスなどで食事量を3割位減らすと寿命が1.5倍位伸びることが分かってきた。2009年には人間に近い「アカゲザル」の観察実験結果が発表され、成人したアカゲザルで、通常食群と食事3割減の群を比較すると、食事を減らした群の方の寿命が延び、癌の発生も減じ、全体として若々しかったという。どうも動物という生き物は食事量を減らした方が長生きするようだ。人という動物においてもおそらく同様と考えられるが、そういう実験は難しく十分確かめられていない。
こうした現象が起こる原因として、約10年前、ガランテ教授(マサチューセッツ大学)が発見した「サーチュイン」という長寿遺伝子が注目されている。サーチュインは空腹によって誘導され、増加するという。サーチュインは細胞の中のミトコンドリアの機能を高める。ミトコンドリアは体のエネルギー源となるATPを作り、その過程で体に有害な活性酸素が発生する。ミトコンドリアの機能が高いと活性酸素の発生が減少する。従って、サーチュインが増加するとATPが良好に産生され、活性酸素の産生が抑制されることになる。そんなことで、体が若々しくなり、寿命が延びると考えられている。
約400年前貝原益軒は「酒食茶湯ともに控えて七、八分にて、猶も不足と思うとき早くやむべし」と過食を戒めている。どうも健康に生きるためには「お腹が空いた」感覚を取り戻す事が大事なようだ。
平成23年6月28日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.19
「たまて箱」
この3月よりJR指宿線に「たまて箱」という特急列車が走りだした。九州新幹線の全面開通に対応し、指宿への利便性を高めようということらしい。2両、60席全指定席で、指宿まで約一時間、桜島と錦江湾を眺めながらの旅である。座席も工夫され、海の見える方向に向いている。列車内もきれいで、観光客に人気が高い。時間前に駅に行っても、予約なしには乗れないことが多い。平均の乗車率は80%以上との事だ。
タクシーの運転手さんによると、連休明けは例年お客が少なくなるのに、減っていないという。ホテルの従業員も忙しくて、休みが取れずぼやいているという。駅前も列車が到着すると、多くの観光客が下りてくる、ホテルのお迎えとかあり、華やいだ感じだ。JR指宿駅の売り上げは40%増加したという。観光客も増えているようだし、メデタシ、メデタシである。
一方で、「たまて箱」は料金が高くなっている。従来の料金に特急料、指定席料が加算されるので2倍以上になっている。列車の運行数は変化なく、「たまて箱」が3本出来たので、一般利用者にとっては利用出来る列車が実質減ったことになる。指宿線は沿線にいくつかの学校があり、通勤・通学の利用者が多い。生活者の視点からすると、実質不便になったと云わざるをえない。生活者に配慮し、「たまて箱」を3両にして、1両は自由席にすることは出来なかったのであろうか。
JRはこの「たまて箱」の運行に関して、重要な顧客である「生活者」の意見を聞いたのだろうか。JR指宿線は対抗するのは私鉄バスのみである、これは鹿児島まで約2時間かかるので、利用客は少ない。この路線に関して言えば JRは独占事業である。事業を独占しているがゆえに、利用者の意見に耳を傾ける姿勢が大事であったように思うが・・・・・。
医療は公共性の高い事業である。公的病院は不必要で、私的病院を中心にして「競争原理」でやった方が良いとの意見もある。一見もっともらしい意見である。しかし、医療には患者さんの多い分野、少ない分野などがある。効率性のみを追求したら、採算性の悪い分野は切り捨てられることになる。経済的効率のみで「同じ命」を差別化することは出来ない。特に、人口の少ない地方においての医療は採算性の悪い分野もやらなければならない。公共性の高い事業に関与する場合は顧客の「声なき声」に耳を澄まさなければならない。今回の東北大震災対応においても自分達と株主のみを優先する態度が見え隠れするのは残念である。
平成23年5月25日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.18
「レントゲンは撮りたくありません」
「胸のレントゲンは撮りたくありません」という患者さんに連続して遭遇した。被爆を避けたいからだという、福島原発事故の影響であろう。患者さんの自己決定権は尊重されるので、説明して納得頂けない場合はしないことにしている。こんなところにも影響が及んでいる。
それにしても、3月11日に起こった東日本大震災の惨状は眼を覆うばかりだ。現時点で、死者 ・行方不明者は合わせて約28000人と集計されている。想像を絶する大津波に襲われ、根こそぎ集落を壊されてしまった。この地域は過去にも大津波に襲われているので、それなりに備えはなされていた。しかし、その想定をはるかに超える規模で、大災害になってしまった。被災者にかける言葉がない、ただただ、ご冥福と復興を願うばかりだ。
今回の地震、大津波はプレート境界で発生したと考えられている。それだけ見るとプレート運動は災害の元凶であり、なにも良い面はないように考えられる。しかし、「プレートテクトニクスは、生命の要素を作る主たる作用であり、おそらくこれが働かないと生命は生まれない。その作用によって複雑な化学作用が生じ、二酸化炭素のリサイクルが実現して、地球を保護する暖かい毛布が作られるのだ。」(クリス・インピー:すべてはどのように終わるのか、早川書房 P242)という。地球という惑星に生命が育まれ、人類が発生したのはこのプレートテクトニクスのおかげだと考えられている。その星に我々は生きている、そのことを前提にしなければならないことを思い知らされたということだろう。
福島原発の状況も深刻だ。昨日、事故のある程度の終息に6~9か月かかるとの見込みが示された。原発事故としてはレベル7という最悪の事態で、その最終の終息には10~15年かかるとの見方もある。事故当初、レベル4程度と発表され、今のような重大事態に至るとは発表されなかった。しかし、事態を振り返ると、当初より電源が全て機能しなくなっており、原子炉及び使用済み核燃料を冷やせない状況にあったわけだから、今の事態に至ることは専門家なら判っていたはずである。何故こういう事態に迄至ったのか、十分な検証が必要であろう。
この星・地球には制御できない危険(地震、火山、気候変動、大型隕石落下など)が一杯ある。その中で我々は核物質の最終処理を出来ないまま、核兵器を作り、原発を利用している。この大災害は我々に今一度立ち止まって、今後の「有様」を考えるよう求めているのではなかろうか。
平成23年4月19日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.17
「同窓会」
高校の同窓会に出席した。昭和37年に卒業したので、卒後49年、来年は50年になる。現役を引退した者が多いので、東京など遠くからの人も出席していた。皆大概、いいおじさん、おばさんになっている。それぞれの人生を歩んで来たから、それなりに変わっては来ているが、基本的な性格は変わってはいないようだ。
齢67歳ともなると、さすがに同窓生の一割位は亡くなっている。昨年12月には一緒にゴルフをした同級生が10日後に突然亡くなった。ゴルフ中も元気で冗談を言いながら、楽しく遊んだ。朝起きて来ず、亡くなっていたという。彼は高校時代、サッカーのゴールキーパーで彼の蹴るボールは高く遠くに飛んだ、それが今でも眼に浮かぶ。合掌。
話題は健康と孫自慢が多い。この歳になると、大なり小なり病気をした、手術をしたとかの話がよく出てくる。そして「死に方」もよく話題になる。たいてい、「楽に、おだやか死にたい」と思っている。「生病老死」はお釈迦様の世界で我々が思うように出来るわけではないが・・・・。
「生」は親を選ぶわけにはいかないし、自らの意志ではどうにもならない。選べないで得た「生」が親の勝手で閉ざされたりする最近の風潮は悲しい限りだ。「病と老」は医学・医療の進歩で大分様相が変わってきた。上手く利用すると、「病老」の悪化や進展を遅らせることが出来る。「治らないで死に至る」病であったものも、コントロール出来るようになった。例えば、40数年前までは不治の病であった「腎不全」は「人工透析」「腎移植」などの医療技術の進歩で、少なくとも死に至ことはなくなった。
ヒトとて、一生物種にすぎないので、「老病死」が避けられない。そこに付け込んで健康食品の宣伝が満ち溢れている。例えば、ヒアルロンサン、医学的には経口では吸収されないとされている。それにも関らず、有名俳優さんを使ったコマーシャルが大々的に流されている。効くというエビデンスはなく、効いたというのは「個人の感想」ですという。責任の逃れもはなはだしい、こんな事象こそ「仕分け」すべきではなかろうか。
誰でも、最後は穏やかに迎えたいと思う。しかし、現実はなかなかそういかない。自らの「死に方」のあり様を明確に伝えておきたいものだ。
平成23年3月16日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.16
「不可能を可能に」 「感動をめざす」
今年もまた指宿から情報発信をしていきたいと思います。よろしくお願いします。当院田中院長の年頭あいさつは「感動の年2011年」と題して「不可能と言われていたことが可能になるのだと」という「とんでもない感動」を目指すと言う。
今、日本の地方病院は医師不足の波を被り、どこも存亡の危機に晒されている。指宿病院も例外ではない。平成14年22名いた医師は現在14名、平成19年には10名になるかもしれない危機的状況であった。その中で、田中院長は平成19年4月、3名の内科医とともに「困難を承知の上で」赴任し、前熊本院長(現名誉院長)を支え、診療部長として再建に取り組み始めた。
平成21年4月、熊本前院長の定年退官に伴い、田中院長が誕生した。「50歳の院長は国立病院機構の中にはいない、若すぎる」などの意見があった。しかし、他に適任者もなく前院長の強い推薦もあり、「若すぎる」院長が誕生した。
「仕分け」の中で赤字病院はたたき売れと言わんばかりの乱暴な議論がある。指宿病院は再建計画中で、今年度はおそらく九州の国立病院機構病院の中で唯一赤字の病院であろうと思う。しかし、指宿地区の医療の現実はこの病院がないと崩壊してしまう。
今の医療保険制度のもとでは高度医療・救急医療をやっている都会の大病院、重度心身障害などをやっている療養所等はなんとか経営的に成り立っている。指宿病院みたいな地方の急性期病院は経営的に苦しい。制度的に苦しい状況に置かれている。
田中院長が九州の院長会議などで再建を目指すと云うと「指宿の再建は無理」だという有力院長もいるくらいだ。しかし、この病院を潰すわけにはいかないのだ。皆「やるしかない」という気持ちであらゆる努力をしている。幸いに、医師、看護師、事務など全ての職種が前を向いて、懸命の努力をするようになってきている。
その中で、指宿病院は平成23年度、単年度黒字化をねらう。不可能と云われた事をやり遂げようとしている。その事が田中院長のいう「不可能を可能に」「感動を目指す」と年頭の言葉になっている。
平成23年2月8日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.15
「医師不足対策」
鹿児島県の医師不足が深刻だ。私は鹿児島医療センターを定年退職後、週3日指宿病院で非常勤医師を務める一方、平成21年5月より、鹿児島県保健福祉部地域医療特別顧問として主に研修医対策、平成22年4月より、鹿児島県医師会常任理事として、ここでも医師不足対策を中心に仕事をしている。
大隅地方のある医師会病院では、今年度、外科医4名が退職し、30年近く提供された外科診療が中止になった。鹿児島県北部の市立病院では平成14年度12名いた内科医が平成21年1月には2名になった。私が現在非常勤で勤務している国立病院機構指宿病院も平成14年22名いた医師が現在15名となっている。特に地方の中核的病院での医師不足が顕著である。
平成16年新臨床研修制度が施行される以前、鹿大病院には、毎年100名以上の新人医師が入局していた。その後、年々減少し、平成21、22年度入局者はそれぞれ41名、47名となってしまった。更に、鹿大医学部卒業生の大都会の研修病院への流出も著しく、鹿児島県全体の研修医も激減して行った。県全体で、平成16年105名いた研修医は平成21年には54名まで減った。それでも鹿大病院からは現在でも約400名の医師が県内の各病院に派遣されている。派遣機能が低下したとは云え、依然として鹿大病院は地域医療を支える基幹的役割を果たしている。
現実の医師不足は深刻で、早くなんとかして欲しいとの悲鳴が聞こえてくる。各病院でそれぞれ対策を行っているが、なかなか改善しない。本県における医師派遣機能は歴史的に、鹿大病院に「おんぶに抱っこ」の状態で依存してきた。その大学病院の医師派遣機能が低下し、一挙に医師不足が顕在化してきた。この歴史的状況の中で、医師の配置をどうするのか医師自らが考えるべきである。人任せではいけないのではなかろうか。
対策を進める側としては、研修医の生活、研修条件を改善など様々な対策を行っている。希望も出来る限り聞き入れている。それはそれで重要と思う。しかし、もっと重要なことは医師として、この「県民の悲鳴」をどう聞くのかという事ではないか。医師になって何をしようとしているのか、医師になろうとした原点はなんなのか。「志の高い」医師を増やさない限り、医師の数をいくら増やしても、事態は一向に改善されないと思う。医師確保対策は「病者」のために戦い、困難な状況を変革する医師をより多く育てることであるのかもしれないと思いながら、この事業に取り組んでいる。
平成22年12月8日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.14
「アンチエイジング - ウィズエイジング」
昨今、アンチエイジングとかウィズエイジングという言葉をよく耳にするようになった。所詮、人も動物の一種、年を取ること、老化を避けられるわけではない。私にはアンチエイジングと老化に抗するより、共存するウィズエイジング(鳥羽研二、杏林大医教授)の考え方が良いように思える。
我々の体を構成する真核細胞は20億年前、原核細胞から進化した。その時、酸素を取り込み、ミトコンドリアでエネルギー源ATPを産生するシステムを構築した。これにより効率的にエネルギーを得ることが可能になり、その後の生物進化の基盤となった。と同時に、酸素を利用するシステムは当然そこに活性酸素を発生させることになった、この活性酸素は現在動脈硬化進展の主要因子の一つと考えられている。従って、我々の体は、構成する細胞がミトコンドリアで効率的にエネルギー源ATPを産生するシステムを作った見返りに(?)活性酸素を受け入れなければならなかったとも言える。人の体の作られ方は日々生きる事が老化への道を歩んでいるとも言える。
老化に抗する様々の健康食品、薬(?)が巷にあふれている。お金で健康、若さを買えるわけでもないのに、テレビ、新聞などの広告でそんな幻想をふりまかれている。例えば、「不足した」コラーゲンを補う健康食品の広告があふれている。コラーゲンは蛋白質である。蛋白質は人の体ではそのまま吸収される事はあり得ない。蛋白質はアミノ酸に分解されてはじめて体の中に入っていく。蛋白質がそのまま体の中に入ると、異物と認識されてたちまち抗原・抗体反応が起こり、大変な「病気」になってしまう。コラーゲンは分解されてアミノ酸として吸収されるが、そのアミノ酸は体の中で再びコラーゲンになるわけではなく、その他のいかなる蛋白質の構成要素になりうる。コラーゲンを食べたから、体の中にコラーゲンが増えるわけでない。そんな事は現代科学の常識である(1937年 ルドルフ・シェーハイマー)。従って、それによって体調が良くなったというのは奇妙な「個人の感想」でしかない。
それでは老化の進展を遅らせることは出来ないのか。細胞が元気で、ミトコンドリアの数、機能が保たれる事が肝心である。年をとってくるとミトコンドリアが減少し(高齢者では半分近くになる)、機能も低下してくる。それを維持するには、最近の研究でも過食を戒め、運動をするということが最も有効である事が明らかになってきている。元気で長生きをするには特効薬はなく、過食を戒め、運動をするしかないようだ。
平成22年10月29日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.13
「ホメオパシー」
昨年、助産師がビタミンKを与えるべき新生児にホメオパシー治療薬を投与し、死亡に至った事件があった。それを重くみた日本学術会議は代替え医療の一種「ホメオパシー」について「その治療効果は科学的に明快に、否定されている。それを効果があると称して治療に使用することは厳に慎むべき行為」との会長談話を公表した(8/24)。これに対して、長妻厚生労働大臣は「本当に効果があるのかないのか厚労省で研究していきたい」と述べたそうだ。
ホメオパシーは原理的には症状を起こす原因物質を水で薄め(1060倍も)、攪拌し、それを砂糖玉にかけて飲ませるという療法である。出来るだけ薄めた方がよく、その水に原因物質のオーラ、波動が染み込み、体の抵抗力を引き出し、自己治癒力などが高まるとする。しかし、この理屈はとても現代科学では認められない荒唐無稽であるというのが学術会議の立場である。
米国初代大統領ジョージ•ワシントンは1799年、化膿性扁桃腺炎に罹り、67歳で亡くなった。現在であれば抗生剤中心で治療すると思うが、その時は大量の瀉血が行われた。記録によれば2日間で 2.5リットルの瀉血が行われたという。最後の瀉血はあまり血が出てこなかったという。人の血液量は約5リットルであるので、約半分が瀉血されたことになる。現在ではこの瀉血による大量出血(?)と脱水が死亡の原因ではないかと考えられている。
瀉血はギリシャ医学に端を発し、西欧では長く行われた治療法で、当時の医学では主流であった。従って、アメリカ大統領に当時、最も有効と考えられていた瀉血治療が行われても当然であったといえる。しかし、現在、特殊な例を除きこの治療がおこなわれる事はない。現代医療はその治療法が有効であるか否かを科学的な臨床試験を行い検証してきた。瀉血療法も1809年、A・ハミルトン(スコットランド人軍医)によって有効性を検討する臨床試験が初めて行われ、瀉血療法を受けた患者の死亡率が高いことが示された。その後の臨床試験でもこの治療法の有効性を示す事は出来ず、段々行われなくなった。
テレビコマーシャルみたいに「良くなったような気がする」という個人の感想で、その治療が有効であるということは出来ない。現代の医学では原則、いかなる治療法も科学的な臨床試験を行い、有効性が証明されなければならない。ホメオパシーは科学的臨床試験でプラセボ以上の効果はないと結論づけられている。今更、「厚労省」が研究する事もなかろうと思う。
平成22年9月10日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.12
「病院ランキング」
最近はなんでもランキングを付けたがる風潮がある。ネットで検索すると様々のランキングが出ている、人気投票みたいなものも多く、そこで上位にランクされるとお客が殺到する。自ら苦労して良い物を探すのではなく、安直に風評に頼る様は現在の世評そのものなのかも知れない。医療界でも様々のランキングが発表され、最近も某有力週刊誌に「頼れる病院ランキング」が発表された。鹿児島県では鹿児島大学病院、鹿児島医療センター、南風病院の順で1~3位であった。ちなみに我が国立病院機構指宿病院は17位であった。
問題はランクの根拠となった事項と点数の配分である。今回のランキングでは医師数、看護師の配置基準、ICUなど高度治療施設の有無、在院日数、経営の収支などである。そういう点数の付け方をするといわゆる都会の大病院が上位にくることになる。例えば、鹿児島医療センターは循環器、脳卒中、ガンに特化した病院で、その専門的な診断・治療を行う病院である。そういう病院は当然点数が高くなるので上位に来ることになる。一方、指宿病院は地方にあって、地域の医療状況に答えないといけない。ある意味、選り好みしないでなんでも診なくてはいけない。介護と医療が一体となっている側面もある。そういう病院はそうした点数の付け方では上位にはなれない。
上位になれないから文句を言っているのではない。指宿病院は「頼りになる病院」ランキングでは上位に入っていないが、実際は指宿地区の地域医療の中では大いに「頼りに」されている。急患はなんでも引き受けるし、まず断らない。小児科の時間外診療は各地で問題になっているが、当院は当直医がまず診て、大きな問題がない場合は必要な処置をして、翌日小児科受診をお願いしている。実際は、小児科の夜間急患は9割がこれで済むことになる。もちろん、当直医が診て、問題が有りそうなケースはオンコールで待機する小児科医を呼び出すことになる。2人しかいない小児科医で全てをやることは不可能なのでこういう形で地域の実情に答えざるを得ない。都会と地方の病院を同じ物差しで評価する事は難しい。このランキングは残念ながら、実情を反映していないと言わざるを得ない。
そもそも、病院のランキングを行うのは難しい問題である。否、そういうランキングは無意味なのかもしれない。病院で評価されるべきは「医療の質」であり、「患者さんの満足度」などである。それを反映した指標で評価しないと、都会の効率中心の病院が上位にランクされることになる。医療の質は医療の技術的側面とリスク管理、感染管理、栄養管理などトータルの質が規定している。そもそもランキングが必要ではなく、「品質」が保証されている病院が「頼れる病院」であると思う。
平成22年8月27日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.11
「マラリア」
22歳の青年が2W間前から、1日1回40度以上の発熱があると外来受診した。この青年は1年以上東南アジア、インド、バングラディシュなどを旅行し、10日ほど前に帰国、郷里指宿に帰ってきたばかりである。CRP18.8、血小板6.2万、いずれも決め手にはならないが、病歴、生活歴より直感的、臨床的にマラリアと考え、鹿児島大学病院に連絡した。旧同僚の血液内科の医師が診てくれる事になった。血液標本を見て、マラリアの診断は確定し、即刻入院となった。本邦では今でも年間100名位のマラリア患者が発生しているという。診断と治療が遅れないことが肝心と云われている。
医師になって40年、 初めて、自分でマラリアの患者さんを診た。私は昭和45年、鹿児島大学第二内科に入局し、医師としての勉強を始めた。当時の第二内科は故佐藤八郎教授が指導されていた。昭和22年、先生が枕崎地区の検診に出かけられた時、ある地区で熱発患者が多発していて、多くが南方からの復員兵士であった。調査が始まり、マラリアが多発していることが判った。佐藤教授は「輸入マラリア」として報告され、学会でも大きな話題となった。我々の世代はまだそのことが記憶にある。
更に、10数年前に、アフリカで活動していた医師が鹿児島に帰ってきて、マラリアの診断が付いたが劇症型で亡くなった事があった。この時、マラリアと診断し、治療に当たられたのが熱帯病の専門家である前第二内科助教授尾辻義人先生であった。そのケースを詳しく教えられた事もまだ頭に残っていた。恩師お二人のお顔を思い浮かべながら、迷わずに速やかに診断に至った事を感謝している。
定年後、当院の非常勤医師となり、総合内科を担当するようになった。40年間循環器医師として、過ごしてきたが、新たな分野に挑戦している。そういう立場になったからこそ、今まで経験したことのない疾患に遭遇している。過去の小さな自分の権益に拘っていると見えないものが、この立場になり見えてくるものもある。それもまた楽しからずやである。
臨床医には経験が大事である。いくら教科書やマニュアルを覚えても見えてこない事も多い。それを超えたところに臨床の面白みがある。効率の良い研修を求める風潮があるが、経験主義の中にすっぽりとはまらないと見えて来ない真実もある。臨床の奥は深い、過酷な臨床現場での先輩の何気ないささやきの中から学び取らないといけない事も多いように思う。
平成22年7月28日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.10
定年人生・・・2年生
定年退職し、非常勤医師として当院勤務を始めて1年が経った。朝6:00時に家を出て、6:20のJRに乗る、指宿まで1時間10分の通勤である。JR指宿線は通勤・通学のお客で結構込んでいる。車掌さんが「混み合いますので、中ほどへお詰め願います」と言っても通学生があまり反応しない、これも最近の風潮かと眺めている。この線は大雨が降るとすぐ運休になる、それらしい場合は早めにバスに乗るようにしている。ただ閉口するのは時間が倍かかる事だ。又、昔からこの線はどういうわけか飛び込み事故が多い。朝の通勤時にこの1年間で1回遭遇した。事故処理に時間がかかるので、指宿に着いたのは3時間後であった。いろいろあるが、この時間は誰にも邪魔されず、本を読んだり、考え事をしたり、うたた寝も出来る至福の時間でもある。寝過して終点の山川駅まで行ったことも2回あった。
病院に着いて、まずコーヒーを沸して飲む、この習慣は今までと変わらない。その後、総合内科医としての外来診療が始まる。高血圧、心筋梗塞など循環器系の患者さんも診るが、総合内科なので風邪、健康診断、人間ドッグ説明など何でも診る。診断出来ない患者さんも少なくない。足底に庇疹があり、痛みが酷いと訴える患者さんがみえた。良く判らず近くの皮膚科の先生に診て頂いたところ、「帯状疱疹」の診断であった。そんな部位にも帯状疱疹が起こるのかと勉強させられた。総合内科といっても風邪や診断書の患者さんばかりが続くと、医師としての技量の高さを問われないのでストレスがたまる。若い医師が総合内科医を目指すのが一つのトレンドになっているが、循環器、消化器、呼吸器など専門医がいない分野だけみるとなると、なんだか医師としての技量の高さを発揮出来にくい患者さんだけまわってくることになる、そうなると、総合内科医のやる気が削がれそうな気がする。病院の中での総合内科の位置づけを明確にしないといけないように思う。
今まで、私は大学病院で24年間、鹿児島医療センターで17年間診療し、今回初めて、いわゆる「地方の病院」で診療をすることになった。今までは、循環器専門医として、心臓だけを修繕をして、それ以外のところはどうぞ他でやって下さいという立場であった。都市部のセンター的な専門病院ではそれで役割が果たせた。しかし、指宿病院では認知症のひどい方のペースメーカー治療や脳梗塞で動けず、対話も出来ない方の心不全の治療をどうするかという問題にぶつかる。医療と介護が一体で切り離せない現実の中にいる。介護は出来るだけ自宅でと云われるが、そう簡単ではない。地域の中で急性期医療から介護まで連続線上で考え、どういう医療、介護を提供出来るのか、行政、医師会、地域の基幹病院が率直に話し合い、地域の医療計画を作っていくべきではなかろうかと考える。
平成22年6月25日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.9
奇跡のりんご
りんご作り農家木村秋則さんの事を書いた「奇跡のリンゴ」という本がある。農薬なしには不可能と云われるリンゴ作りに有機肥料、農薬なしで挑戦し、成し遂げた木村さんの記録だ。今や木村さんの作るリンゴはなかなか手にはいらない、そのリンゴは噛むとパリンと音がしそうなほど、しっかりした歯ごたえ、強烈な甘みと酸味、樹の実と呼ぶのにふさわしい野生の味だそうだ。
木村さんは奥さんが農薬使用後に寝込んでしまう事が多く、なんとかならないものかと考えていた。たまたま自然農法を説く本を目にし、リンゴを農薬、肥料なしで作ろうと決心した。やってみると虫、病気の発生でリンゴは全く実らず、当然収入もなくなり、世間からは「かまどけし」と云われ、家族は貧乏にあえいだ。それでも、誰よりもリンゴの木を世話し、虫、病気から木を守るためあらゆることを試し続けた。しかし、リンゴは実らず、大事な木もだんだん弱っていった。
6年目にはどうにもならず、夏の夜、ロープを持って山に登っていく、ここら辺でとロープを木の枝に掛けたがロープが飛んでいった。それを探しに下の方に降りたら、なんと見事な葉を付けたリンゴの木(実際はどんぐりの木)があった。なんで、こんなところにこんな立派な木があるのかと観察を始めた。土が違うことに気づいた。「死のう」と思って来たことはすっかり忘れ、そのまま畑に帰り、自分の畑のリンゴの木は根が貧弱と気づく。それから土の改造、根っこからのリンゴの木の再生に取り組み始めた。
その翌年、リンゴの木一本が7個の花を咲かせた。実に無農薬に挑戦してから8年目のことであった。うち2個が実になった。家族皆で食べた。驚くほど美味しかった。9年目にはリンゴの花が一面に咲いた。しかし、リンゴ農家として売れる商品になるまでは苦労は続いた。しかし、今や、無農薬、肥料なしの木村さんのリンゴは自然と人との関わりまで考えさせる存在になっている。それにしても、農薬を使いさえすれば高収入が約束されているのに貧乏にあえぎながら、信念を貫く強さに感嘆させられる。その後も「リンゴの教えてくれたこと」を伝えに国内外を飛び回っている。
当院の平成21年度収支は残念ながら赤字で、独立行政法人になって6年赤字続きである。指宿病院が黒字化は無理だよと広言する人もいる。しかし、この病院はこの地域になくてはならない存在だ。木村さんに似た院長さんがめげずにがんばっている。結果はついてくると確信している。
平成22年5月21日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.8
今年も薄墨桜は咲かなかった
鹿児島県立図書館の前庭に、平成2年岐阜県から寄贈された薄墨桜の木がある。期待しながら見に行くが、今年も咲かなかった。あるいはその地で育っていたら、可憐な花を咲かせていたかもしれない。我が家の庭に花みずきを植えているが、残念ながら、今年も白い花と葉っぱが半分位ずつだった。私の通勤路の花みずきはそれこそ木全体が白い花に覆われている。花が咲いてくれるにはそれなりの条件が必要なのだろう。
私が関係する部署にもこの4月、多くの新人が入ってきた。医師国家試験に合格した初期臨床研修医75名が県内の研修病院で医師としての人生をスタートさせた。この4年間、鹿児島県の初期臨床研修医は減り続けてきたが、昨年の54名に比し21名増となり、減少傾向に歯止めが掛かった。成長するために、良き先輩医師との出会いがあって欲しいと思う。当院にも新人看護師10名をはじめ、転勤を含めると29名もの人が新たに赴任してきた。赴任した皆さんが成長できる職場になりたいものだ。
高峰秀子さんという御年85歳の女優さんがいます。「高峰秀子の流儀」という本が出て、新聞の書評に「求めない、期待しない、驕らない、こだわらない ・・・」高峰秀子の「生きよう」を書いているとの事であったので、読んでみる気になった。更に、彼女の事を知りたくなり、自伝的エッセイ「わたしの渡世日記」も読んでみた。彼女は小学校すら、まともに行っていない、字は映画の撮影に行く時、担任の先生が持ってきてくれた絵本で覚えたという。彼女は30歳で既に大女優であったが、当時名もない助監督であった松山善三さんと結婚する。その時、足し算は出来たが引き算は出来ず、辞書を引く事を知らず、夫に教えてもらったのだという。その彼女の文章は研ぎ澄まされ、観察力、洞察力の深さに驚かされる。
新人の教育は管理者側としては可能な限り、十分なものを与えたい。最近の風潮としては教育体制が整っていることを望まれる、その通りかも知れない。しかし、十分な教育システムを作ったからといって、人が育つわけでもない。高峰秀子さんは世間的意味では十分な教育を受けていないにもかかわらず仕事も出来て、人としてのレベルも高い。どうしたら、そんな人が育つのか考えさせられる。
平成22年4月15日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.7
おだやかな関係
指宿病院で診療を始めて1年近くになった。何よりも感じるのは、患者さんと医師との関係が「おだやか」である事だ。70歳過ぎのご婦人が診察にみえた。ご主人は介護を要する状態で自分が元気にしていなければと言われる。その方は冠動脈3本のうち1本が完全に閉塞し、あと2本は冠動脈形成術を受け、ステントが挿入されている。その部分が詰まってしまったら「お終いだ」と気にされている。再発を予防するために行っている薬物療法などを説明し、必要な予防策を講じているので「心配し過ぎないで下さい」とお話した。又、冗談ぽく「いつお迎えが来るかは誰にも判らないですよ」とも言った。帰り際、にこやかな顔をされて「今日は気分が晴れた」と帰られた。なんの変哲もない、当り前の患者さんと医師のおだやかな会話であり、関係である。
医療現場は平成13年の患者取り違え、注射間違い事故などを契機に国民の医療不信が高まり、その対応に追われた。我々は「人は間違いを起こす」ものだという前提で、システムの改善に力を入れ、間違いを起こさないための教育にも取り組んできた。専任リスクマネージャー、教育担当専任看護師長の任命、医療安全委員会の定期的開催、感染症対策の専門家の養成など様々の事に取り組んできた。それなりに、医療の安全対策は進んだと思う。しかし、これらの対策は医師や看護師を増やして対応したわけでもなく、経済的負担も何ら保障もされず、現場に押しつけられた。患者さんへの承諾文書の増加、説明時間の延長など医療現場は更に忙しくなっていった。
更に、医療不信を背景にして、モンスター患者、家族が増えていった。十分な説明をしながら、検査・治療を進めても、結果が良くないと「聞いていなかった」と聞くに堪えない「悪口雑言」を浴びせ掛けられ、あまりにひどい状況に警察を呼んだ事もあった。その中で主治医は疲弊し、ついにはそこから「立ち去り」、「医療崩壊」と云われる状況が作り出されて行った。急患があり、そちらを優先しなければならないこともある。すると、予約の時間が過ぎていると外来看護師は罵倒される事も少なくない。
我が日本の現代社会は、いつの間にかお互いを思いやる「寛容さ」を失って来たようだ。だが、指宿にはその寛容さが残っており、患者さんとの関係がおだやかである。私が医師になった40年前の古き、良き関係が残っている。「都会の診療」で疲れた医師・看護師はここで働いて欲しいと思うこの頃だ。
平成22年3月9日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.6
声がでかくなりました
研修医一年生S先生が医師になって10ヶ月、当院での研修4ヶ月を終えることになった。彼女の感想は「声がでかくなりました」でした。当院は地方の病院、高齢者の入院患者が多い、彼女は循環器内科30数名の入院患者さんを指導医とともに担当していた。ラウンドするだけで小一時間はかかる。そこで手際良く、患者さんの状態を把握していくには大きな声にならざるをえなかったようだ。
彼女は当院で、まず産科研修、カイザーにも多く立ち会い、産科医師は一人しかいないので、多くのことをしなければならなかった。小児科ではちょうどインフルエンザの時期で、外来・入院ともに忙しい時期、赤ちゃんの採血に苦労した。循環器内科では、救急搬送された心肺停止の患者さんの初期対応に一人で立ち向かい(もちろん指導医もすぐ駆けつける)、一時ペーシング、中心静脈確保などの手技を習得していった。私にはこの研修医の女医さんがだんだん「医者らしい顔つき」に変化したように思える。
鹿児島県の初期臨床研修医はこの制度が発足した平成16年105名いたが、昨年(平成21年)は55名と殆ど半減してしまった。原因は複合的であろう。私どもが医師になった40年前は本県出身の者は当然の如く、鹿児島大学病院で研修して、一人前の医師になる道を選んだ。それが新臨床研修制度では都会の大病院が魅力的(?)なプログラムと好条件を提示、勧誘するので選択肢が増えてきた。2年間位は他所に行って、勉強したい気持ちも理解できる。
しかし、鹿児島での研修が県外病院での研修に劣っているわけではない。鹿児島大学病院をはじめ県内の研修病院は「熱いハートの医師」を育てる熱気に満ちている。現に、我々の周りで研修している医師は逞しく成長している。県外での研修では「研修医」の間は大事にされる、しかし、その後は十分面倒見てくれるわけではない。医療現場は「医療事故」など厳しい現実に満ちている。そうした事態が起こったら、十分なサポートが必要だ、我々にはそれを十分に行ってきた実績がある。「自己責任」のみで強く生き抜いて行くのも良いが、覚悟が求められる。県内に基盤を置きながら、国内外の病院に研修・研究に行く道も十分保障されている。一人前の医師として成長する道筋を目の前の事のみでなく、長期戦略の中で考えて欲しいと思う。
平成22年2月2日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.5
指宿 脳卒中 来たれ脳内科医
明けましておめでとうございます。
日本の脳卒中死亡は岩手県、高知県、秋田県の順で高く、鹿児島県は全国6位です。鹿児島県の中では、指宿保健所管内が1位(平成19年)、この数年、指宿とお隣りの南薩地区が鹿児島県で一番死亡が多い。薩摩半島の南部が多いということになる。いろいろ議論はされているが、その原因は解らない。指宿は気候も温暖、食材も豊富で新鮮なものが多い、もちろん温泉の町でもある。それなのに何故多いのかよく解っていない。
ちなみにここ10年、九州では鹿児島県が常に脳卒中死亡1位である。全国1位の岩手県で10万にあたり162.1人の死亡に対して、鹿児島県は147.7人、その中で指宿地区は224.9人と大変高いレベルにある。生活習慣病の中では鹿児島県はがん15位、心臓病14位で、脳卒中の順位が高い。この事実は鹿児島県の脳卒中専門医にも良く認識されていないようだ。この話をすると、専門の医師が意外にびっくりしている。
その中で、指宿地区には重症例の手術が出来る脳外科施設はない。約6万人の診療圏ではそうした脳外科施設の設置は難しいのかもしれない。昨年暮れに、県内の病院としては初めての施設内にヘリポートを開設し、迅速に鹿児島市の脳外科施設に搬送出来るシステムを構築した。一方、当院の脳内科医はかって4名いたが、初期臨床研修医制度の発足後、大学からの派遣が減少し、現在は1人しかいない。当然であるが、脳卒中の急性期治療、リハビリを含めた慢性期治療などに一人で対応することは難しい。努力はされているが、医師の確保は難しいのが現状だ。
指宿地区の脳卒中死亡が多い現実を放置できない。急性期、慢性期の治療のみでなく、その予防まで取り組まなければならない。なぜ多いのかも解明していかなければならない。この現実に立ち向かう脳内科医が欲しい。医師として、やりがいのある課題だと思う。「求む脳内科医」の声が志のある医師に届くのを願っている。
平成22年1月12日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.4
政権交替
今年を象徴する出来事はなんと言っても「政権交代」でしょう。アメリカでは1月、オバマ大統領、わが国では9月、鳩山政権が誕生しました。単なる政権交代ではなく、今までの路線・ 政策の大きな転換を掲げた政権交代でした。
オバマ大統領はChange(チェンジ)と訴えました。環境、核兵器問題など軍事、経済政策全般を転換していきましょうと訴えました。「Change」とだけ聞くと耳障りは良いが、本当は「Change or
Die」、変われなければ地球もアメリカもダメになりますよと言いたかったのではないでしょうか。しかし、まさか「Die」という刺激的な言葉は使えなかったのでしょう。本来「Change」には痛みも覚悟も伴うが、「Change or
Die」と言えなかったため、「覚悟」を求めた事が十分に伝わらず、現在、約束が違うと反発を受けているように感じられます。
鳩山政権の「事業仕分け」は連日テレビ放映され、大変な関心を呼びました。予算がどう使われているのか、その一端が公開された意味は大きいと思われます。それぞれの事業にはそれなりの歴史的経過があり、それを十分理解して、「仕分け」をしていくことは大変だったと思います。今後は事業そのものの可否と同時に事業が行われる際のコストの妥当性も俎上に乗せて欲しいと思います。国の行う事業については民間と比べてコストが高く、建築コストなどは民間より高いと言われています。そういう問題は従来のシステムでも会計検査院などは十分把握しているはずです、それが今までは十分に表に出てきませんでした。そうした経験と実績のある組織にさらに権限を与えていくと現実的に無駄の把握と改革が出来そうに思います。一歩一歩積み重ねた改革こそが根こそぎの改革に繫がって行くと思います。
ところで、地方にある公立病院は医師不足、経営の厳しさに喘いでいます。「事業仕分け」の対象になったら、どういうことになるのでしょうか。地域医療の中で、なくてはならない存在だと訴え、聞いてもらえるのでしょうか。「費用対効果」の伝家の宝刀でばっさりやられたら、ひとたまりもないかもしれません。ただ、「地域医療」と「地域社会」を守る事は同じであると理解して欲しいものです。
平成21年12月10日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.3
指宿病院も医師不足
指宿病院は平成14年、22名の常勤医師がいましたが、平成17年に14名になり、現在15名しかいません。それに伴い、6病棟(282床)あった病室を3病棟(143床)に縮小しています。指宿病院は指宿市、頴娃町、旧喜入町の一部など約6万人を診療圏にし、国立病院機構の病院でありながら、実態は指宿市立病院的役割を果たし、地域医療の中核を担っています。需要が減ったのではなく、医師不足のため縮小せざるを得なかったのです。
限られた医師数で、指宿地区消防組合の救急出動1700件のうち、500件を受け入れ、その他の救急患者も3843件受け入れています。お産件数は平成20年170件、今年は200件を超えそうな形勢です(ちなみに、指宿市の出生数352人)。小児科もこの地区で唯一の病棟を持ち、入院の必要な子供を受け入れています。それを、産婦人科、小児科共、ただ一人の常勤医で対応しています。
地域の医療は、そこで生活する人たちの基盤となるものです。例えば、若いお母さんはその地域で安心してお産が出来、小児科があれば、居住してくれます。我々はそこのところを十分理解しているつもりです。ただ、現在の指宿病院は医師の自己犠牲の上にギリギリのところで地域医療を支えており、現在の医師数では限界を超えていると言わざるを得ません。何とか医師が増えて欲しいというのが切実な願望です。
医師数が減ったのは平成16年に始まった新臨床研修制度が引き金になったことは否めません。平成21年度の鹿児島県の初期臨床研修医は54名、鹿児島大学の入局者(卒後3年目、後期研修医)は40名でした。平成16年以前は少なくとも100名を超えていました。約半分になっています。鹿児島県の医師のうち亡くなる方、廃業する方が45~50名です。すると、やっと現状維持ということになり、地方の医師不足を解消するどころか、今後、ますます厳しくなると云わざるをえません。
鹿児島に若い医師を残す施策、医師の地域、診療科偏在、女医の働き易い環境の育成など課題は多く、真剣な議論と行動が望まれます。
平成21年12月01日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.2
閉まるドアにご注意ください。
私はJR指宿線で通勤し、朝6:20の列車に乗る。「間もなく発車します、閉まるドアにご注意下さい」とアナウンスがある。なんだか耳に引っかかる。「ドアが閉まります、ご注意下さい」の方が耳に優しいように思うが・・・・・。
今まで気がつかなかったが、九州新幹線でも同じアナウンスをしている。テープで流れる放送、車掌さんの放送も殆どが同じである。時々、車掌さんが「ドアが閉まります。ご注意下さい」と言うこともあるが、不定期のアナウンスの時のみだ。JR九州のマニュアルは「閉まるドアにご注意下さい」となっているのだろう。
JR指宿線は海岸線の山沿いを走っている、大雨だとすぐ運休になる。その日は大雨で、前の列車が運休、やっと運行再開となった。当然、乗客が多く、混んでいた。沿線に高校や大学があるので、高校生など学生が多く乗ってくる。
車掌さんが「中程へつめてください」と何度もアナウンスしているが、入り口付近の乗客が譲り合う気配がない。私は真ん中辺りの席に掛けていたが、中の方は空いているのにどうして譲り合わないのかと気をもんでいた。乗車に時間がかかるので、なかなか発車出来ない。遅れている列車はますます遅れる、会合に遅れてしまうと少々いらいらしてしまう。
よく観察すると、乗客の多くが携帯電話を持ち、メールをしている。同じ列車に乗っている乗客同士という、その場での人同士の繋がりではなく、携帯を通じて列車の外の人と繋がっているようだ。乗客同士という、その場の繋がりが希薄なことが、譲り合う行動に結びついていかないのかと勝手な想像をしている。
平成21年11月6日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦
指宿 菜の花 通信No.1
定年医師、総合内科医師をめざす。
18歳の青年男子が就職試験の健康診断書を作成に来た。GOTが104と上昇していた。さて何だろうと思い、消化器内科の医師に診てもらうことにした。
「先生、この青年はここ数日激しい筋トレをしていて、念のためCPKをチェックしたら、1040と上がっていました。筋トレのためのGOT上昇で、病的なものではないようです。」
私は循環器専門ですので、CPKが上昇していると、筋肉由来のものを考える習慣はあるが、GOTが上昇していてそれは考えなかった。言われてみれば、当然であり、新米の「総合内科医」としては厚顔の至りであった。
この4月、国立病院機構鹿児島医療センターを定年となり、指宿病院非常勤医師(週3日)となり、総合内科医の辞令を受けた。
医師になって40年、その大半を循環器医師として働いてきたが、今後は総合内科医を担当することになった。
前の病院ではそれなりに循環器医師として認知されていたが、ここではそうはいかない。循環器の患者さんを診ると、「今日は循環器専門の先生は診てくいやらんとな」不満顔である。「すみません、私も一応循環器専門医ですけど」と弁解しながら診ている。
総合内科医ですので、風邪、腹痛、健康診断まで何でも診ることになる。循環器専門外来だけやってきた「頭」を「総合内科」に切り替えなくてはならない。65歳の古ぼけた「頭」が切り替わるものか、楽しみだ。
平成21年10月30日
国立病院機構 指宿病院総合内科医師 中村 一彦