小田原市風祭に所在、東方は雄大な相模湾に臨み、西方には箱根連山、富士箱根国立公園がそびえ、空気清澄、気候温暖、恵まれた環境にあり療養に最適です。交通の便もよく、新幹線、東海道線、小田急線の小田原駅から箱根登山電車で2駅目の風祭駅下車、病院正門まで40メートル。また、小田原厚木道路・西湘国道の箱根出口(風祭インター)から400メートルの距離にあります。
当院は、厚生労働省設置法に定められた厚生労働省の附属機関として設置された独立行政法人国立病院機構の病院であって、脳・脊髄・骨関節・筋疾患等の医療及びリハビリテーションを専門とする病院です。
敷地 国有地 80,428平方米
建面積 11,748平方米
延面積 19,458平方米
外来管理治療棟(鉄筋2階建)、病棟(5個病棟、うち3棟鉄筋2
階建)、MRI棟、デイケア棟、機能訓練棟、サービス棟、看護宿舎、
職員宿舎。
病床数 許可病床数 入院 199床(一般)
外来 90人(一日平均)
当病院では診療科目として、 神経内科
内科
整形外科
リハビリテーション科
泌尿器科
を標榜し、入院患者については歯科、皮膚科、の治療を行います。
看護は神経難病や脊髄損傷等の患者さんに対して、長い間に修得してきた高度な専門的技術を有しており、褥創予防をはじめとし、患者さんの療養のQOL (Quality of Llfe、生活の質)を重視した看護を行うとともに、レクリエーションなども行っております。新看護料4:1(A)加算、4:1看護補助料、入院食事療養(I)となっております。
栄養士による栄養指導を行っております。
明治40年 廃兵院法(明治39年4月法律第29号〕に基づき陸軍省所管の廃兵院が東京予備病院渋谷分院の一画に設置された。
明治41年 廃兵院が、東京市豊島区巣鴨に移転した。
大正12年 数次にわたる廃兵院法の改正が行われ、この年陸軍省から内務省に移管された。(大正12年3月31日勅令第109号)
昭和 9年 傷兵院法(昭和9年3月法律第12号)の成立により廃兵院を傷兵院と改称。
昭和11年 傷兵院が神奈川県足柄下郡大窪村大字風祭(現在の小田原市風祭412)に移転した。
昭和13年 厚生省の設置に伴い、傷兵院は厚生省の外局として発足し、傷兵保護院に所属することになった。
昭和14年 傷兵保護院は事業組織を拡大して軍事保護院と改称した。
昭和15年 軍事保護院は傷痍軍人箱根療養所を併設した。この箱根療養所は当時の臨時東京第1陸軍病院に入院していた支那事変による戦傷脊損患者を移し収容した療養所であり、戦傷脊損療養所としては全国唯一のものである。当院が全国唯一の「国立脊髄療養所」に分類されていた由来はここにある。
昭和20年 太平洋戦争終結により、傷痍軍人箱根療養所は厚生省の外局たる医療局に属して昭和20年12月1日国立箱根療養所と改称、広く国民の脊損医療を担当する施設(100床〕となる。
昭和21年 厚生省の機構等の改正により、医療局を廃止し、医務局を設置して現在のような厚生省の附属機関となった。傷兵院は昭和21年5月勅令第206号により廃止され、その所管財産は国立箱根療養所が継承した。
昭和28年 附属准看護学院を設置した。
昭和40年 西病棟(48床)完成によリ傷痍軍人を集約した。
昭和50年 国立療養所箱根病院と改称。
昭和51年 成人筋ジストロフィー症の40床を開陳した。
昭和55年 外来管理治療棟が完成した。
昭和56年 成人筋ジストロフィー症40床の増床。
附属准看護学校廃止(卒業生総数373名)
附属リハビリテーション学院の発足。
(平成16年3月をもって閉校)
平成 3年 機能訓練棟施設開場
平成 5年 MRI設置
平成 5年 新看護A加算承認
平成 7年 患者給食中央配膳・適時適温給食開始
平成 8年 CT設置
平成 9年 リハビリテーション総合承認
平成16年 独立行政法人国立病院機構 箱根病院に組織変更