「療養所の戦後」~箱根療養所(現:国立病院機構箱根病院)でくらした戦傷病者の労苦~企画展のご案内

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●しょうけい館のご紹介
今回、この企画を箱根病院と進めて頂いた しょうけい館は、戦傷病者とそのご家族等が戦中・戦後に体験したさまざまな労苦についての証言・歴史的資料・書籍・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する国立の施設として、平成18年3月に開館されました。
しょうけい館という館名は、戦傷病者とその家族等の労苦を知り、語り継ぐという趣旨から、受け継ぎ、語り継ぐという意味の「承継」という言葉からとっています。
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●国立病院機構箱根病院のご紹介
国立病院機構箱根病院は、2004年からスタートした全国145からなる独立行政法人国立病院機構の病院のひとつ。
所在地は神奈川県小田原市風祭412。旧称国立療養所箱根病院。
戦争により負傷した戦傷脊損患者を収容した歴史をもち、戦傷脊損療養所としては全国唯一の施設であった。
昭和51年に政策医療として、筋ジストロフィー(成人に限定)疾患診療施設の指定を受け診療を開始し、筋ジストロフィー周辺疾患、神経難病の診療も行っている。
近年は、脊髄損傷(含脊椎・脊髄疾患)、筋ジストロフィー及び神経疾患を主体とした慢性期医療からリハビリテーションに至るまで一環とした医療を中心に診療機能の拡充に努め、地域医療へ参画している。
箱根病院の沿革.
| 明治40年 | 廃兵院法(明治39年4月法律第29号〕に基づき陸軍省所管の廃兵院が東京予備病院渋谷分院の一画に設置された。 |
| 明治41年 | 廃兵院が、東京市豊島区巣鴨に移転。 |
| 大正12年 | 数次にわたる廃兵院法の改正が行われ、この年陸軍省から内務省に移管された。(大正12年3月31日勅令第109号) |
| 昭和 9年 | 傷兵院法(昭和9年3月法律第12号)の成立により廃兵院を傷兵院と改称。 |
| 昭和11年 | 傷兵院が神奈川県足柄下郡大窪村大字風祭(現在の小田原市風祭412)に移転。 |
| 昭和13年 | 厚生省の設置に伴い、傷兵院は厚生省の外局として発足し、傷兵保護院に所属することになった。 |
| 昭和14年 | 傷兵保護院は事業組織を拡大して軍事保護院と改称。 |
| 昭和15年 | 軍事保護院は傷痍軍人箱根療養所を併設した。この箱根療養所は当時の臨時東京第1陸軍病院に入院していた支那事変による戦傷脊損患者を移し収容した療養所であり、戦傷脊損療養所としては全国唯一のものである。当院が全国唯一の「国立脊髄療養所」に分類されていた由来はここにある。 |
| 昭和20年 | 太平洋戦争終結により、傷痍軍人箱根療養所は厚生省の外局たる医療局に属して昭和20年12月1日国立箱根療養所と改称、広く国民の脊損医療を担当する施設(100床〕となる。 |
| 昭和21年 | 厚生省の機構等の改正により、医療局を廃止し、医務局を設置して現在のような厚生省の附属機関となった。傷兵院は昭和21年5月勅令第206号により廃止され、その所管財産は国立箱根療養所が継承。 |
| 昭和28年 | 附属准看護学院を設置。 |
| 昭和40年 | 西病棟(48床)完成によリ傷痍軍人を集約。 |
| 昭和50年 | 国立療養所箱根病院と改称。 |
| 昭和51年 | 成人筋ジストロフィー症の40床を開陳。 |
| 昭和55年 | 外来管理治療棟が完成。 |
| 昭和56年 | 成人筋ジストロフィー症40床の増床。 附属准看護学校廃止(卒業生総数373名)。 附属リハビリテーション学院発足(平成16年3月をもって閉校)。 |
| 平成 3年 | 機能訓練棟施設開場。 |
| 平成 5年 | MRI設置。 |
| 平成 5年 | 新看護A加算承認。 |
| 平成 7年 | 患者給食中央配膳・適時適温給食開始。 |
| 平成 8年 |
CT設置。 |
| 平成 9年 | リハビリテーション総合承認。 |
| 平成16年 |
独立行政法人国立病院機構 箱根病院に組織変更.。 |
登録日: 2009年7月1日 / 更新日: 2010年2月24日





