高松医療センター 院長 水重克文

                                                                

  島国である我が国は、魚介類を中心とした多彩な食文化を持っています。種々の海産物の固有の味に、塩や醤油、さらには酢をベースにした微妙な味付けが施されて旨味が引き出されています。海外に旅行すると、高級と言われる料理には必ずと言っていいほど油が使用されているし、そうでないにしても塩と胡椒だけで焼かれた牛肉が大味であると感じることも稀ではないように思えます。
  我が国のこのような食文化は、さらには「魚」の名付けにも反映されています。いわゆる出世魚と称される「ハマチ」、「ブリ」はその典型で、成長の程度に応じて名前を変えていきます。魚の歌舞伎役者のようなものでしょうか。歌舞伎役者が、名前を変える毎にその持ち味を変えるように、魚も名前を変える度に食感や脂ののり具合が変わって、それに合わせて調味料の使い方も変えられていきます。この際に調味料として油を使用しないで旨味を引き出す調理法は、まさに健康的であるといえます。

  さて、我々の高松医療センターは、戦後間もなく高松療養所として高松市の東の端の小高い山の上に建設されました。その後、結核患者の急減によって療養所としての経営的不採算性から病院としての機能を持たせようとされたのでしょう、国立療養所高松病院に改称されています。これは、国立という名前をつけることによって権威付けをして、かつ病院と称することで一般医療をも行っていることを周辺にアピールするものであったのでしょう。当時の詳しい事情はわからないので、このように推察しています。

 平成16年には、病院にとって一つの大きな転機を向かえることになりました。
 第一に、本当に療養所ではなくなってしまったということです。療養所が、特別なある意味で限定された、しかも他の病院では診れない疾患に限定して診療、というより収容して療養していただいていた施設であるのに対して、病院というのは積極的治療を行わなくてはならない施設であることを意味しています。国立療養所高松病院が、病院と言いながら療養所の名前を引きずっていたのに対して、国立病院機構高松東病院からは療養所が消えています。
 第二に、会計が企業会計になったということです。従来の予算の分捕りとは大きく変換して、診療によって得た収益で病院を運営しなくてはならなくなりました。これは、経営という意味では、5年、10年後を見据えた戦略を立てておかなくてはならなくなったということでもあります。医療の動向に目をやりながら、もっとも社会に貢献できる医療ということに診療の目標を置いておく必要があります。現在のレベルを目標にしていると、それを達成できるであろう数年後には過去のレベルになってしまいます。これでは、医療機関としての運営はできません。

 国立病院機構高松東病院は、病院でありうるのか?平成16年10月に赴任して以来、これを自問自答していました。医師、看護師や技師などの医療職員の医療人としての意識や、事務職員の病院経営あるいは診療体制への関心はどの程度なのか?とはいうものの、少なくともこの3年少々の間に病院は幾らかの変革を成し遂げました。使用されずに物置のようになっていた部屋はことごとく診療に使用しています。在院日数の関係で、稼働率という意味ではまだ問題があるにせよ、外来患者数や検査件数は増加しつつあります。
 
 高度で先進的医療の推進は、赴任当時から目標として掲げていた命題です。我々の病院は、5年、10年後にはこれを達成しているだろうか?可能とする唯一の方法があるように思います。現在の医療スタッフの数や病院の器を考えれば、スペシャリティを全面に出して特定領域に集中投資し、特化した先進医療を行っていくしかないではないか。この病気であれば、この病院で診てもらいたい、あるいは一度は診察を受けていないと安心できない。そういったあり方を模索している内に、医療センターにたどり着いたというわけです。現時点で、国立病院機構高松医療センターとして、政策医療部門(神経、呼吸器、整形を含む)、循環器部門、癌部門(消化器、呼吸器)、および総合診療部門といった陣容を考えています。
 国立病院機構高松医療センターとしての持ち味を出したいものだと思っています。名は体を表すというがごとくに。

平成20年4月1日

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